<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304</id><updated>2012-01-27T04:35:28.418+09:00</updated><category term='社会信用論'/><category term='石巻'/><category term='essay'/><category term='BND'/><category term='ダグラス'/><category term='備忘録'/><category term='words'/><category term='震災'/><category term='イラン'/><category term='銀行制度'/><category term='writings'/><category term='dream or not'/><category term='ベーシックインカム'/><category term='politica'/><category term='art'/><category term='原発'/><category term='thought'/><category term='video-art'/><category term='翻訳'/><category term='地域分権'/><category term='North Dakota'/><category term='public banking'/><category term='religion and/or  science'/><title type='text'>　　　　000.</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>66</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5455246863744835885</id><published>2011-04-09T12:54:00.001+09:00</published><updated>2011-04-09T13:16:24.574+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='震災'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='原発'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='石巻'/><title type='text'>石巻３</title><content type='html'>次の日は再度、もっとも被害のひどいエリアにもどってきた。昨晩の会議の結果、そしてパートナーを組んでいた"組長"と話し合い、被災者の方々自身によるコミュニティの形成や組織化を後押ししていくことを目指すことにした。しかしそれは言うほど簡単なことではない。彼らは被災者だが日常へ戻りたいという意志を当然持っており、その日常とは地震以前の日常だ。また取り仕切り役を間違えてしまえば、今後の彼らの近隣関係に暗い影を落とすことにもなりかねない。支援物資を手渡すとき、多くの人はなにかお返ししたいという気持ちを表してくれた。缶コーヒーを持ってくる人もいたし、ダンボールをたたむのを手伝ってくれたり、お幾らですか？と尋ねる人もいた。避難所で余ったおにぎりやパンを貰うこともあった。実際おにぎりやパンは余り始めていた。賞味期限切れのものが配られることも少なくなく、また2週間以上もの間、同じおにぎりとパンを食べ続けている。よくない。避難所には細菌性の腸炎やインフルエンザもはやり始めている。彼らには生鮮食品と調理する道具が必要だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
海沿いから少しはいった川口町2丁目で物資の配布をおこなったとき、われわれを手伝ってくれた年配の男性はとても手馴れていた。一通り作業が終わり、ダンボールを片付けていたときに話を聞くと、災害ボランティアの経験があるとのことだった。どおりで私たちよりも手馴れているわけだ。またこうした支援物資の分配についての問題点もよく心得ているようだった。私たちは彼の庭を炊き出しや物資の集積所として開放してもらえないかと打診し、快諾をえた。ここなら大丈夫だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう少し込み入った場所、車や倒壊した家々が道を塞ぎ、中まで車で入りづらいところにきた。年配の方々と若い人たちが泥だしを懸命におこなっている。支援物資の配布を告げてもわれわれが少し邪魔そうだった。ほどなく取り仕切っているだろう年配の男性が車で現れたがわれわれの車が邪魔だと悪態をついた。邪魔するなら物資なんか持ってくるな、とかなんとか。詳しく話を聞こうと、足りない物資はないか、困っていることはないかといろいろと尋ねると、この男性が近くの農家のかたで、この地区で一人で暮らすご老人を20名ばかり自宅に避難させていることがわかった。生鮮食品は余るくらいあると語った。一人で家の片づけがままならないこうしたご老人たちの家の泥だしとスクラップと化した日用品の片づけを行っている最中だったのだ。人には色々と理由がある。私たちはお互いにがんばりましょうと声をかけあい、笑顔で別れた。ここでは活動的な年配のかたに多く出会った。ここで出会う人々からは、概ね自分は大丈夫だから必要な人のところにいってあげてくれと言われることが本当に多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県営住宅で出会った岸本さんもそうしたうちの一人だ。７階だての住宅には２００人以上のかたが生活を営んでおり、単身のご老人も少なくない。エレベーターはもちろん動かず、水道、ガス、電気は止まったままだ。入り口にいた人に、ここを取り仕切っている方と話がしたいというと、５階の岸本さんがそうだと教えてくれた。岸本さんの家へ訪れると、彼はおらず、奥さんがでてきて、驚いたことに彼に関する愚痴を聞かされた。『地震以来、朝起きたときから寝るまでずっとマンションのことを考えていて、自分の家のことはなんにもやってくれなくって。。』と話す彼女はそれほど困った様子もみせず、暖かい気持ちになった。地震と津波直後にあらゆるインフラが止まったとき、岸本さんは屋上の貯水タンクにいき、自分が責任をとるからとマンションに住む若い人に鍵を壊して貯水タンクの蓋をあけてもらい住人に水を配っていたという話をしてくれた。やはり彼女は嬉しそうだ。岸本さんを見つけて、なにが必要かを訪ねると給水車がほしいといった。避難所である小学校に来る給水車まで水を取りにいくのは老人には酷だからだ。再三、市役所のほうにも連絡したらしいが、市役所の機能もままならない状態だ。なんせ職員の半数は津波に飲まれてしまったのだから。当面は私たちのほうでミネラルウォーターを手配することにした。そしてもうひとつのニーズは、一階の泥だし、ごみだしと消毒だ。確かにあらゆるものが水と泥にまみれ、満潮時には水に浸かる地盤沈下の状況にある現在、あらゆる生態系が泥のなかで育っており、これはいいはずがない。ボランティアの別部隊に泥だし部隊がいる。早速今夜の合同会議でマッドバスターズを組織してもらうことにする。最後の日、昨日訪れた県営住宅の入り口で炊き出しを準備した。約１００人は出勤し、会社のほうの片づけを手伝うので住宅に残る約１００人分の炊き出しだ。ここに来てからコミュニケーション以外はじめての、なにか物を作る、唯一創造的な作業だった。マッドバスターズは車が足りず、組織できない。急慮、また別組織が準備していたEM菌による雑菌の分解、消毒の作業を手配した。年配者にとって消毒とは石灰を撒くことを意味するので、喜んでくれるかどうかはわからないが、明らかにこちらのほうが有益であるはずだ。ここ数日パートナーを組んでいた広島からきた”組長”にここの建物の引継ぎを終え、炊き出しと清掃が始まる前に石巻をあとにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
来週には石巻、女川にむけて再度出発するつもりだ。そして一番の懸念のひとつである福島周辺へ向かい、避難を進める方法を模索する。それまで安定状態にあるとは思えず、向かうことすらかなわない状況に陥る可能性は依然としてある。、放射能が目に見えず、匂いもなく、痛みもないことからくる楽観的な状況はまずいと肌身に感じた。帰りしなに、原発から６０キロ離れた二本松市にヨード剤を手渡しによったが、空間線量はここでも高い数値を示す。ファミレスでは高校生くらいの女の子たちが楽しそうに、また普段どおりキャッキャと騒いでいる。カウンタがなければ私たちはそれがあることすら知ることができない。通常値を計測していないので正確な数値ではないが、東北道のインターチェンジの土壌をガイガーカウンタで計測しながら帰ってきたところ、８０キロ～１００キロ圏の土壌からもアルファ線が２～３倍検出される。この状況でなにができるか。まずは状況の把握から始めることになるだろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5455246863744835885?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5455246863744835885/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/04/blog-post_09.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5455246863744835885'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5455246863744835885'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/04/blog-post_09.html' title='石巻３'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4850755907296467120</id><published>2011-04-07T18:13:00.000+09:00</published><updated>2011-04-07T18:13:34.826+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='震災'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='原発'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='石巻'/><title type='text'>石巻２</title><content type='html'>石巻の市内のFM局が普段よりも遠くに放送を飛ばしていた。夕方、小道が流された車や倒壊した家々で塞がれた湊町を周っていたときに、FM石巻からカウンターテナーのAve Mariaが流れてきた。目の前には街灯が十字架のように斜めに地面に突き刺さっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一日目の作業を終えた後、雨と雪にさらされたレインコートとその上に着ていたスキー服をガイガーカウンタで調べた。総量は約43-69cpmといったところで、約２～３倍といっていいだろう。アルファ線を検出するデバイスでは０．安心した。これで放射能被害が加わってはここの人々はたまらない。土壌の放射線量は計測していない。２９日には、被災者が飲み水にしていた湧き水から放射性物質が検出され、市が飲むのをやめるようにとの通達をだした。水道水では検出されておらず。今は北風だからこの程度で済んでいるが、春風が吹くころはこの通りではないだろう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
３日目に一緒になったのがやはり個人ボランティアのかたで、４５歳くらいかな、ばりばりの広島弁であだ名は組長。やはり専修大学のキャンパスにテントを張って住んでおり、バイクでよく旅をする大工の彼のDIY能力は非常に優れている。彼もやはり、居ても立ってもいられずに石巻へ来た一人だ。私たちは海からすこし離れた住宅地へと向かった。ここでは家々は倒壊せずに普通に建っており、一見ごく普通なのだが電気、ガス、水道は通っておらず、また親戚、友人家族が港周辺から避難してきて一緒に住んでいる家も多い。一つの家に４～５世帯が避難していることもあった。家が普通に建っていて、個人的に避難をしている人々は避難所に登録していないため、見過ごされていることの多い地域。倒壊の激しいエリアとは別の問題がここにはある。オープンし始めるスーパーもあるが、朝から大行列、店に入るころには物はないという状態。道に歩いている人や近所を聞いて周って避難者を探し出す。一人の女性に、目の不自由な按摩さんや身障者のひとたちが避難している石巻サウナへ行ってくれと頼まれる。サウナのある場所へ行くと、そこはすでに炊き出しの場所になっており、物資の配布を行うセンターのようにもなっていて、ホッとした。そこの取り仕切りをしている６０代の男性と話をすると、"ここはもういいから、大丈夫だから、海沿いのもっと酷い場所へいってやってくれ、頼む"、といわれた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここまで私は被災者たちがお互いに気遣い、思いやる美しい側面に触れてきたがもちろんそれだけではない。日がたつにつれ、そして今すぐに必要な食物が満たされてくると、日常へ復帰しようという欲望が当然のように湧いてくる。そして少しさきのことまで考えられるようになるとき、同時に貪欲や嫉妬、そして身勝手が顔をだすようになる。しかし誰がそれを責められよう。それは人間のもつ一側面でもあるのだ。一人の女性が貪欲に支援物資を求めたからといって、彼女の背中に何人の人々が、何人の家族がいるのか私たちは知らない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自衛隊の倉庫には山ほどの物資がある。ひとつの巨大なテントにはカレー、また別のテントには米といった具合だ。ものすごい物資の量だ。しかし分配がうまくいっていない。パニックを恐れる彼らは、配布場所をアナウンスすることなく、ある日、ある場所で突然支援物資を配る。誰も知らないのに、誰が手に入れられるというのだろう？あの大量の物資はどうするつもりなのだろう？ここの自衛隊の倉庫にはだぶだぶの迷彩服を着た若い子たちがいっぱい配備されている。味噌を５０箱取りにいったら、そんなに渡せないという。部隊の名誉にかかわるというのだ。なかなか正直でよろしい。もう少し年月を過ごせば、耳障りのいい理由をこさえる事ができるようになるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自衛隊であれ、ピースボートであれ、その他のボランティア団体に対してであれ、ここに集まる物資はまるでテレビの視聴者の感想が集まっているかのようだ。ある女性がインタビューで子供服が必要だといえば、数日後に子供服ばかりが届く。ある一人が個人的に必要な物資が大量に送られてくることがままあり、そのたびに倉庫はてんてこ舞いになる。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
続く。。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4850755907296467120?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4850755907296467120/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/04/blog-post_07.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4850755907296467120'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4850755907296467120'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/04/blog-post_07.html' title='石巻２'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-276992400237336418</id><published>2011-04-07T04:14:00.002+09:00</published><updated>2011-04-07T04:16:20.748+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='震災'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='原発'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='石巻'/><title type='text'>石巻</title><content type='html'>早朝、高速を降りて石巻を走ると、町並みはごく普通であった。家々も電柱も真っ直ぐ立っている。倒壊もしていない。ここが地震と津波の被害を最もこうむった場所のひとつだと聞かされなければ、ごく普通の町だ。石巻NPO連絡会議の本部が専修大学にある。キャンパスにはピースボートが使っている巨大な倉庫があり、ちょうどカナダのメディカル・チームとレスキューがテントを張っているところだった。また個人ボランティアのテントもグランドに数多く張られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本財団、ピースボート、自衛隊の倉庫から救援物資を車に積み込む。水、米、味噌、パン、缶詰、カップヌードル、リンゴ、薬、カセットコンロ、ガスボンベ、電池、ろうそく、子供用・大人用オムツ、軍手、ゴム手、長靴、レインコート、などなど。。。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初のアクションは、石巻市で最も津波の被害を受けた、湊町、川口町、明神町、大門町へ向かい、海水を避けて家の二階へ避難したまま、避難所などで把握されず、救援物資を受け取ることのできない人たちを一軒一軒まわって探し出しながら手渡していくというもの。市役所の職員は半数が流されており、生存者、避難者の把握はもちろん、物資の配給は滞っている。ここにきて津波の被害を受けた風景を始めて目にする。雪混じりの雨のなか、船と車がひっくり返って道路をふさぎ、多くの車はありえないところ、コンビにの店内、家の二階、線路上に転がっている。地盤が沈下したため、満潮時には海水がひざとくるぶしの間まで水が上がる。その中を自転車に乗るタフな被災者もいた。同じく町をローリングして物資を手渡すローリング部隊の一人、広島から軽トラックで駆けたボランティアのタイヤがパンクした。同じ型のフレームが見つからず、タイヤの交換はできず、もちろん修理できるところもない。そこで車をそこにおき、救援物資を取りに来てくれるように一軒一軒声をかけて回った。顔を落としながら、言葉もなく、袋をもって雪混じりのなか集まる人々は、亡霊のようでもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その日の午後、居てもたっても居られず高知からきたコウセイ君と一緒に回ることになった。３５歳くらいの彼は、北へ向かう途中で目にしたテレビの映像で、石巻に来ようと決めたと語っていた。彼の行動は非常に丁寧で、フェアで、よく考えられたものだと思った。彼は被害の酷い石巻市街を中心に家々を周り、一人一人になにが困っているかをききだし、倉庫へ戻り、携帯の充電器さえ探し出して手渡した。彼は最も不便しているだろうお年寄りの家を多く回った。組織的なボランティア・グループは最も困った人たちを見落としがちになる。炊き出しや救援物資を避難所などに届けても、それを手にすることのない人々はここにはいっぱいいるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二日目には女川へ向かった。ここの津波の被害は凄まじい。まるで大規模空爆で町ひとつが消えてしまったかのようだ。大きな船がかなり内陸のほうで転がっており、バスが公民館の二階にあったり、コンクリの建物が横たわっており、港から人家にかけては敢えて粉々に砕いたかのように破壊されている。２０ｍくらいの高台に病院がみえるが、その病院の一階まで海水に浸かったといっていた。石巻もそうだが、この辺りの人々は子供のころから、いずれ宮城県沖で大地震があることを聞いて育っている。それゆえ防災の用意をしていたという人も多かった。地震のすぐあとに身一つで高台に逃げた人は助かり、車や徒歩で必要なものを手にして逃げようとした人たちは津波に飲まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石巻と女川の違いははっきりしている。津波による破壊、倒壊の凄まじさからか、生き残ったほとんどの人たちは避難所におり、もともとの地域コミュニティが生きているため、誰が亡くなり、誰が生き残っているかはよく把握されており、救援物資の分配も区長さんなどの地域コミュニティのリーダーが取り仕切り、とりこぼれが少なかった。こうしたコミュニティの結束力は何にも増して変えがたいインフラとして機能しており、人々の顔にも心なしか安堵の表情が浮かんでいる。人間関係がすでに都市化されている石巻市街との差は明らかだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは日本財団が仕切っている公民館のキッチンを寝床にしていた。日本財団は嫌いだが、いまは批判しているときじゃない。NPOの長い会議が終わった後に帰ってくると、寝床に集まったほかのボランティアの人たちといろいろと情報交換をした。八ヶ岳からここへきて、炊き出しの支援を避難所で行っていたチャン君は、泥や海水のなかから拾い集めた１円玉の入った缶を”ボランティアの皆さんで使ってください”といって手渡された。ボランティア活動に通じている兵庫から来た整体士の津田さんは、マスコミの記者は訓練不足だと怒っていた。マスコミは”なにが一番困っていますか？なにがいま、一番必要ですか？”と判で押したように”一番”しかきかないと。”見てわからんか？！あいつらは二番、三番はどうでもいいんや”といって怒っていた。なにもかも失った人々、家族や友人を失った人々に一番を聞いてどうするんだ。確かに。和歌山からきた小学校の先生は”そうですよね、家族を失ったのが一番に決まっているじゃないですか”といっていた。ここに個人的に集まったボランティアの人々の意識は高く、成熟している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
続く。。。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-276992400237336418?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/276992400237336418/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/04/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/276992400237336418'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/276992400237336418'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/04/blog-post.html' title='石巻'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-3628672944395835953</id><published>2011-02-23T04:50:00.000+09:00</published><updated>2011-02-23T04:50:47.098+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：政治の作用 -IVAの支配</title><content type='html'>政治の作用　-IVAの支配&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行はこの反対運動から生き残ることが出来たのだろうが、依然として不安定な地盤の上にあった。州債の売り上げ躍進にも関わらず、否定的な評判、法的に不確定な要素、リコールの呼びかけと投資会社の州債格下げがともに州のイメージを傷つけ、政治的混乱が引き起こされた。リコールの呼びかけの間、ネストス知事は銀行と他の州産業を公平な裁判にかけると有権者に約束したが、ミネアポリスでの演説中にネストスは1923年の議会で銀行解体のステップが取られるだろうと公言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今やIVAのメンバーからなる産業委員会は人望の厚いF.W.カスロ総裁を解任した。連盟のメンバーだった39人の銀行員もまた解雇された。更なる州債の販売はなされなかった。連盟は、産業委員会が故意に州債を留保し銀行の支払い能力を蝕んでいると告発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新たに任命されたC.R.グリーン総裁の経営のもとで銀行の業務方針は重大な変更を被った。連盟の経営下でのキーワードは「貢献」であった。IVAのもとでのキーワードは「利益」であった。新たな経営陣のもとで、連盟の経営陣が査定した数百万ドル分ものローン申込書が破棄された。貸付け業務は引き締められ、査定はさらに保守的となり、新たな貸付けに制限が設けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネストスの行政府は、地方銀行に公的資金を再預金するという銀行の方針を打ち切った。このことが銀行の資産流動性と安定性を向上させていたと同時に、マネーは州に残されていた。連盟のもとでは、銀行の資産５％のみが州外の銀行に預金されていたが、IVAの経営のもとで５１％に跳ね上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1923年の議会でネストスは、銀行と州立産業の運営を変更もしくは廃止するいくつかの法案を要請した。議会はネストスの要請の実行にすべて失敗した。議会はノースダコタ銀行が融資していた土地の売却と差し押えのための対策を作成した。この法案は銀行が債務不履行のローンを処分することとローン計画を補填するために土地を売却することを承認した。最終的にノースダコタ銀行は営業復帰したと思われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/the_iva_in_control.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-3628672944395835953?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/3628672944395835953/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/iva.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3628672944395835953'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3628672944395835953'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/iva.html' title='ノースダコタ銀行について：政治の作用 -IVAの支配'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-3537520181415236357</id><published>2011-02-22T01:45:00.001+09:00</published><updated>2011-02-22T01:55:24.660+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：政治の作用　-歴史的投票</title><content type='html'>政治の作用 -歴史的採決&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界大恐慌の真っ最中の州と衆望の低下とともに、IVAは連盟に対して投票を通じた二度目の攻撃を始めた。1921年、IVAは連盟が公認した産業委員会のメンバー解任とIVAが選んだ共和党員に交代させることを求めた嘆願書を持って回った。これはアメリカ合衆国初の投票によって選ばれた職員のリコールであった。また嘆願書には、ノースダコタ銀行とその他の州立産業を廃止または制限する７つの法案が書かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
リコール選挙の一ヶ月前に、産業委員会はついに州の一連の銀行債権に対するウォール街のボイコットを打ち破った。労働組合と農業者組合の支持を取り付けようと全国的なキャンペーンが開始され「すべての公共心ある市民は購入できるだけ債権を買おう」と働きかけた。リン・フレイジャーは1921年7月23日を『ノースダコタ州債販売日』と宣言した。６百万ドル近くの州債が労働組合と個人に対して販売された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IVA は州債の売り上げがねつ造だと主張して法廷に訴え、差止請求の裁定は州債の売れ行きを遮った。IVAにとっては不運にも、差止請求はたいへん広範囲に書かれており、もし従うならば、預金や支払いの受付を銀行に停止させるものであった。州政府は足踏み状態に陥ったであろう。フレイジャー知事はキャンペーンの列から法廷へと急いだ。州最高裁は差止請求を無効にした。&lt;br /&gt;
補欠選挙の投票開始によって、連盟の未来とその産業計画は風前の灯火であった。醜聞と連盟職員間の争い、州有企業の経営不振を非難する広報キャンペーンとA・C・タウンリーの更なる急進的な政治に対する人々の幻滅は大きな損失をもたらした。開票が開始された後、連盟の三人の職員全員が解任された。しかしノースダコタ銀行とその他の州立産業に対する人々の支持は依然として十分強固であり、産業計画を無効にする７法案を退けた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/a_historic_vote.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-3537520181415236357?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/3537520181415236357/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/blog-post_22.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3537520181415236357'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3537520181415236357'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/blog-post_22.html' title='ノースダコタ銀行について：政治の作用　-歴史的投票'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-6597570720509298559</id><published>2011-02-18T03:30:00.002+09:00</published><updated>2011-02-18T03:30:36.069+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：政治の作用　-長い日照り続き</title><content type='html'>政治の作用　-長い日照り続き&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
未来に影を落としたまま、1920年の投票によってノースダコタ銀行は営業を始めてから一年以上が過ぎた。一連の銀行債権は依然として売れておらず、銀行の農場ローンは更なる資金を得ること無く凍結されていた。連盟の職員たちに対する継続した組織的中傷は、特に資本不足によって農民たちに約束された融資への簡単なアクセスが見られないことから、銀行とその他の産業計画に対する人々の信用を蝕んでいった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ランガーと他の反対者たちは、1920年の予備選挙で連盟が推薦した現職者に対して強烈なキャンペーンを展開した。ノースダコタの有権者が既に支持した州立産業は擁護するが、連盟の「堕落したリーダーシップ」に反対すると主張し、政府から社会主義者を追い出すと断言し、秋の選挙で連盟は州政府の指揮権を失った。反対者は下院の過半数を得て反連盟の住民発議法案４つすべてが通過した。州立産業計画はその場に止め置かれた。住民発議法案は市町村の財源をノースダコタ銀行に預金することを命じる1919年の規定を撤回した。債券が依然として売れていないことと重要な流動資産源の消失で、ノースダコタ銀行は農場ローンの貸し出しとその小切手を支払うことを停止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行家協会はこれ以上連盟の産業計画を拡張させないという譲歩の代わりに一連の銀行債権の販売を申し出た。産業委員会は提案を断った。ツイン・シティの銀行家たちからの似たような提案も同様に拒絶された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
債券売却の長期遅延は、銀行が1920年代の農業不況に応えるには危機的な資本不足であることを意味した。その現金需要に応じるために銀行は西部地方の銀行の再預金分を回収せねばならなかった。３週間で１８の銀行が閉店し、西部地方の多くのコミュニティが荒廃した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/the_long_dry_spell.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-6597570720509298559?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/6597570720509298559/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/blog-post_18.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6597570720509298559'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6597570720509298559'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/blog-post_18.html' title='ノースダコタ銀行について：政治の作用　-長い日照り続き'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-6351353492768515034</id><published>2011-02-14T19:46:00.000+09:00</published><updated>2011-02-14T19:46:26.051+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：政治の作用　-対反乱作戦の始まり</title><content type='html'>政治の作用　-対反乱作戦の始まり&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1920年代初期、同盟の計画の成功を確実にする債券の売り上げを覆すため、IVAとその同盟者たちは法廷、議会、世論、そしてプレスにおける組織的な攻撃、組織的な運動に乗り出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その上、1920年は超党派同盟にとって悲惨な年であった。1919年の議会における党首脳間の摩擦は絶頂に達し、州検事総長のビル・ランガー、州務長官のトム・ホール、そして州会計監査官のカール・コシツキーは公的に同盟を離脱した。ホールは一連の銀行債権に署名することを拒み、それらは違法に発行されたものだと申し立てた。（申し立ては州検事総長に支持された）。州検事総長の離脱は同盟の反対者が産業委員会に席を持つというだけにとどまらず、ランガーとコシツキーは同盟指導部に対する公然とした非難を全力を挙げて開始し、同盟幹部を攻撃する月刊誌を出版し、彼らはボリシェヴィキであると主張した。依然として強固な社会主義者のA・C・タウンリーは世論から不評を被り始め、彼のリーダーシップに対する衆望は徐々に浸食されていき、彼との結びつきによって、他の同盟の職員たちも同様の立場に立たされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
銀行の経営もまた非難に晒されていた。ノースダコタ銀行はファーゴ*にあるスカンジナビア銀行のスキャンダルに巻き込まれ始めていた。スカンジナビア銀行は会員費の処理と同盟の活動の資金を用意するために同盟によって確保されていた。会員からの実際より後の日付が記入された小切手によって大規模に資金調達されていた。州検事総長の命令による会計検査によって銀行が破産の危機に瀕していることが発見された。IVAの反対者たちは、意図的に政治的便宜を計るため、非常に不安定な銀行に公的資金が再預金されていたとしてノースダコタ銀行の経営を告発した。取り付け騒ぎが閉店にまで達した後に、会計監査官たちはノースダコタ銀行の不正経理のいかなる証拠も見つけることはできなかった。しかし醜聞は銀行経営に対する人々の信頼を損なっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらになお、債券の売り上げに対しても人々の信頼は損なわれており、鉄道会社とツイン・シティの銀行業および実業団体が用意した弁護士は産業委員会、銀行、州立製粉所、穀物倉庫と農産物保険を創設した法律は違憲であると主張し、ノースダコタ州の納税者４２人に代わって提訴した。裁判官は提訴を棄却したが、控訴ははるばる合衆国最高裁判所にまで持ち越され、最高裁は法律の正当性を支持した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ノースダコタ州の都市。Cass Countryの郡庁所在地&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/the_counter_insurgency.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-6351353492768515034?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/6351353492768515034/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6351353492768515034'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6351353492768515034'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/blog-post.html' title='ノースダコタ銀行について：政治の作用　-対反乱作戦の始まり'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-7836564049079094792</id><published>2011-02-13T12:04:00.002+09:00</published><updated>2011-02-13T12:04:40.502+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：BND草創期　-農民の行列</title><content type='html'>BND草創期　-農民の行列&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
銀行が開店したその日、２００以上もの農場ローンの申込書が理事の机の上に置かれた。1919年には、州内の多くの農家はツイン・シティ*のセント・ポール銀行および保険会社と結んだ不動産抵当貸付の支払い遅延分を高利率で支払っており、農家経済は苦しみ始めていた。ノースダコタ銀行の使命は、農村への融資を原価で供給することにあったが、しかしそのマネーはどこからかやってこなければならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
営業開始から最初の５ヶ月で銀行は、１０００万ドル分の一連の銀行債券の売り上げによって資金調達しなければならない、８００万ドル分のローンの申込書を受領していた。しかし債券は売れていなかった。経済はスパイラル状に下降していき、それは国内最悪の農業不況で終わった。連邦準備銀行は融資を引き締めはじめ、投資家たちはリスクの高い投資を見つけることが困難になった。ノースダコタ州の人々が同盟の訴えに応えて一連の銀行債券を購入したにも関わらず、州外の投資家たちはリスクのある銀行の投機に用心深かった。衆望は、ウォール街の投資家たちに対する債券の販売促進を必要としていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ミネアポリスとセントポール。ミネソタ州のニックネーム&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/farmers_line_up.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-7836564049079094792?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/7836564049079094792/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd_13.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7836564049079094792'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7836564049079094792'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd_13.html' title='ノースダコタ銀行について：BND草創期　-農民の行列'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5395731643647680122</id><published>2011-02-12T08:38:00.001+09:00</published><updated>2011-02-12T08:39:03.165+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：BND草創期　-州債とボイコット</title><content type='html'>BND草創期　-州債とボイコット&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1919年の議会で銀行は設立されたものの、融資計画の資金を調達するために州債を売却する必要があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず始めに州債は、ノースダコタ銀行を現実のものにするという同盟に対する選挙民の忠誠心に訴え、ノースダコタ州の買手に対して売りに出された。委員会は、もし銀行の一連の債券が州内の客に５０万ドル分売却できれば、投資家たちに選挙民が本当に銀行を支えているということと、州債が成長可能性のある投資であることを見せることができると信じていた。ノースダコタ人はそれに応えた。州外の投資家は応えなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1920 年の住民投票による銀行の承認にも関わらず、州債が売れていないことが明白になったとき、産業委員会は残りの１５０万ドル分の州債をすでに銀行に預金されていた公金から購入し、銀行に対して小切手の裏書きを仕返すというなかなかの“手品”を演じた。これで銀行の必要レベルにまで資金供給が為されたとはいえ、銀行業務に対して実際のマネーは１ドル足りとも加えられなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行は設立された最初の州立銀行ではなかった。7つの州で完全な州立銀行は設立されたが、３つは失敗した。他の３つではときに収益はあったが、最終的には解散した。唯一サウス・カロライナの銀行は採算がとれていたが、それもまた世紀の変わり目に閉店していた。ノースダコタ州はこれらの前例から州立銀行業に関して学んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産業委員会はノースダコタ銀行の深刻な資本不足を把握しており、銀行の短期の見込み収益に不具合があることを承認する譲歩をした。もし銀行を同盟の産業計画成功の要とするならば、州外のマネーによる資本供給が必要であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/bonds_and_boycotts.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5395731643647680122?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5395731643647680122/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd_12.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5395731643647680122'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5395731643647680122'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd_12.html' title='ノースダコタ銀行について：BND草創期　-州債とボイコット'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4867661433340917668</id><published>2011-02-11T10:36:00.002+09:00</published><updated>2011-02-11T10:36:54.550+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：BND草創期　-最初の一斉射撃</title><content type='html'>BND草創期　-最初の一斉射撃&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1919 年の議会が延期されて間もなく、IVAは同盟の産業計画に最初の一撃を与える策を練り始めた。最初の一手は、下院法１８を含めた７つの産業法案に対する住民投票の嘆願書を広めることであった。彼らは知事に特別選挙を７月８日（銀行の開店予定日の２〜３日前）に予定するよう求めた。しかし知事はIVAの望む日程よりも一ヶ月早い６月２６日に選挙を設定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同盟は素早く行動に出た。A・ C・タウンリーと彼の組織は州全域に跨がって投票者に「産業民主主義に投票し、７度“可”に投票せよ」と力説してまわった。同盟の奔走が制し、７法案すべてが人々による実質上の信任投票を受けた。しかしそれは東部の投資家たちに不信を投げかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同盟はノースダコタの銀行界に、人々の銀行を支えるよう呼びかけたが、彼らは結集していなかった。地方の銀行家は、中央集権的な州立銀行が彼らを廃業させるのではないかと恐れていた。こうした恐怖感を和らげるために、産業委員会は諮問委員会を立ち上げ、銀行に対する抵抗感が和らげられるだろうことを見越して、ノースダコタ銀行の規約を定めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方銀行との不公平競争に対する恐怖感を和らげることを期待して、委員会は譲歩することに同意した。銀行が農場不動産ローン以外の商用貸し付けに携わらないこと、小売り銀行業務に携わらないこと、支店を出さないこと、ノースダコタ銀行が現在方々の銀行に預金されている州の予算を引き出すことがないこと、未来の税収と市の予算を含めた州予算はノースダコタ銀行への預金を要し、市場レートよりも低いレートで地方銀行へ再預金されることを承認した。これらの譲歩の最終的な結果ノースダコタ銀行は、同盟が約束していたどの貸付け計画にも出資するお金がなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/launching_the_first_volley.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4867661433340917668?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4867661433340917668/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd_11.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4867661433340917668'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4867661433340917668'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd_11.html' title='ノースダコタ銀行について：BND草創期　-最初の一斉射撃'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-793529575564716779</id><published>2011-02-09T07:55:00.000+09:00</published><updated>2011-02-09T07:55:22.512+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：BND草創期　-産業計画</title><content type='html'>BND草創期　-産業計画&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1919 年の議会では同盟の重要法案に取り組むために、わずか一ヶ月が費やされた。感情の燃え上がり、口汚い非難、買収計画にも関わらず、上院と下院で産業委員会を創設するための下院法案１７は通過した。州知事、司法長官、農業行政長官で構成される産業委員会は、ノースダコタ州のための商業を指導する権限を与えられた。次に、ノースダコタ銀行を設立するHB18が通過した。歴史的な1919年の議会は、同盟の産業計画実施に必要な法的枠組みとなる、５つすべての法律を通過させることを次回に持ち越した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
HB18が施行されてから６週間経つこと無く、ノースダコタ銀行は営業準備が整った。運営責任者が定められ、定款が整えられ、伝票が印刷され、設備が設置され、職員が雇われ、そして銀行は開店した。一つ重要な要素が欠けていたー銀行を継続事業体とするために必要とされる２百万ドルの資本金だ。&lt;br /&gt;
会期中におけるIVAの反対を同盟の過半数は一蹴したが、それにも関わらずノースダコタ銀行の敵対者は敗北を認めなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/the_industrial_program.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-793529575564716779?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/793529575564716779/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/793529575564716779'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/793529575564716779'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/bnd.html' title='ノースダコタ銀行について：BND草創期　-産業計画'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-231357174494951112</id><published>2011-02-08T16:39:00.000+09:00</published><updated>2011-02-08T16:39:35.459+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：超党派同盟 -NPLの乱</title><content type='html'>超党派同盟　-NPLの乱&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９１６年、同盟は快勝を得た。いまや同盟のメンバーは知事、司法長官、州務長官、農務長官になっていたが、州財務官は別だった。（民主党から出馬した唯一の候補者）。同盟公認候補者は下院議席の１１３議席中８１議席を確保し、空いている上院議席の２５議席中１８議席を確保した。しかし、州最高裁の同盟公認候補者こそが鍵であった。同盟の産業要綱を導入する前に州憲法の改正が必要であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同盟の綱領は州経済のコントロールを奪還する志を抱いたものだった。その要求は州立製粉所、穀物倉庫、そして食品加工・包装工場のシステム作り、州立の農村向け金融銀行、州が請け負う雹／あられ保険、ミネアポリスの製粉業者による穀物の格付けとドック使用料に変わる州による検査、そして農場改良工事への課税控除であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのすべての産業計画を確実にするために同盟のリーダーたちが決定した最も確実な方法とは、州憲法全体を新たなもの（州が商業活動に携わることを可能とするもの）に置き換えることであった。今では有名となった下院の法案４４は抗議の嵐を引き起こした。とはいえ、法案は同盟が優位な下院によって承認されたものであったが、１９１７の議会で上院に否決された。１９１７年の議会ではより穏健な同盟の改革案が制定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
反対派が組織されはじめた。１９１８年秋の選挙前に、ツインシティーズ*からの資金に基づく利害関係者が同盟の産業計画を破棄しようと無党派協会（IVA-Independent Voter Association）を組織し始めた。IVAは、社会党的な同盟の州立産業の計画の分別を疑う反NPLの共和党員と民主党員から構成されていた。 IVAは強敵であることを証明しようとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ミネアポリスとセントポール。ミネソタ州のニックネーム&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９１８年の選挙は同盟の圧勝だった。いまや同盟公認候補者は警察署長を除くすべての州の官公庁、最高裁判事の五分の四と上院と下院の圧倒的多数を掌握した。同盟の産業綱領の成功は確実であるように見えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/the_npl_insurgency.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-231357174494951112?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/231357174494951112/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/npl.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/231357174494951112'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/231357174494951112'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/npl.html' title='ノースダコタ銀行について：超党派同盟 -NPLの乱'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4975832735795569765</id><published>2011-02-03T12:11:00.000+09:00</published><updated>2011-02-03T12:11:51.989+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：超党派連盟（Non Partisan League） -NPLの誕生</title><content type='html'>超党派同盟(Non Partisan League)　-NPLの誕生&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政党に愛想がつき、途方に暮れたタウンリーはビスマークに滞在し、１９１５年の議会での州立穀物倉庫設立の発議に関する口論と敗北を観察していた。議員とノースダコタ組合の公正会議に付き従う農民のあいだで行われる醜く荒れた論争を綿密に観察し、タウンリーは農民を代表する新たな組織の立ち上げを決意する。新たな組織は州所有に関する項目を社会党の政治要綱から取り入れ、農民に深く根ざした大企業に対する不信を利用した。社会党を開拓したとき同様の募集テクニックを用いて、タウンリーはノースダコタの政治を一変させる組織ー超党派同盟を設立した。タウンリーは生まれつきのアジテーター（扇動家）であった。州外の経済的利害関係者に対する過去の不平と憎悪を基に、タウンリーは扇動的な演説家であった。州の隅々にわたる演説と一対一の会談においてタウンリーは粗野で無骨な演説者だったかもしれない。しかし彼は農民の言葉を語った。超党派同盟は大草原の野火のように、州内各地で吹き荒れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初の６ヶ月で、連盟は２万６千人のメンバーを集めた。１年間で４万人となった。昔からの社会党のオルガナイザーは群れをなして連盟に加入するために脱退した。１９１８年にはノースダコタで社会党は本質的に廃れ、超党派同盟が大企業に反対するノースダコタ農民の新たなチャンピオンとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
農民たちが愛党心を捨てたがらないことを社会党のオルガナイザーとしての日々から彼は学んでいた。タウンリーの計画は共和党もしくは民主党の公認候補者として出馬する、連盟の綱領に賛成する候補者を予備選挙で推薦することであった。マッケンジーの組織のように、タウンリーは共和党に対して確立されたノースダコタの人々の忠誠心を利用するつもりであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/birth_of_the_npl.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4975832735795569765?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4975832735795569765/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/non-partisan-league-npl.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4975832735795569765'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4975832735795569765'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/02/non-partisan-league-npl.html' title='ノースダコタ銀行について：超党派連盟（Non Partisan League） -NPLの誕生'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5064181615854467469</id><published>2011-01-31T21:56:00.000+09:00</published><updated>2011-01-31T21:56:11.347+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：州外からの支配　-経済的搾取</title><content type='html'>州外からの支配　-経済的搾取&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
進歩党が促進した社会、政治改革の成功にも関わらず、州は依然として州外権益による経済支配の元に置かれていた。政治的リーダーによる鉱業、製造業を興す試みをもってしても、ノースダコタの経済は依然として危険なまでに小麦に依存していた。不幸にも、仲介業者がノースダコタの小麦の格付けと相場を決定しており、彼らと協同する鉄道会社が運送コストと輸送計画を取り仕切っていた。ツイン・シティ*、シカゴ、そして東海岸の投資家たちは資本へのアクセスをコントロールしていた。(米国Minnesota州のSt. Paul市とMinneapolis市)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次大戦になっても、小麦農家はカルテルによって支配され続け、搾取され続けていた。彼らはそうしたカルテルが共謀し、彼らの収穫物の公正な市場を強奪していると確信していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国東部の銀行家と投資家の手中に州の未来を委ねる不正商慣行に対して、ノース・ダコタの人々は他の州のどこよりも抗議の声を上げた。第一次大戦の終わりには最初の農家所有の協同穀物倉庫の設立とともに、最終取引業者と取引イベントが活動を開始し、やっとのことで外部の事業者から州の経済的なコントロールをもぎとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９１５年にはノースダコタ州は反乱の準備が整っていた。アーサー・C・タウンリー。非常に熱心な読書家で、元教師、そして２７歳のときに破産した農家であるタウンリーは社会主義を受け入れ、ノースダコタ州の社会党の最も成功したオルガナイザーの一人となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９００年から１９１５年のあいだに社会主義はかなりの成功を収めた。マイノットの市長は社会党員であり、同様にラグビーとヒルズバロの市長も社会党員であった。社会党は州全体に候補者をたて、ピーク時には８％ほどの得票を得た。彼らは出席者の多い集会を持ち、週刊新聞を発行して草の根活動の体制を築き上げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オルガナイザーとしてタウンリーは農家から農家へと訪問し、社会党の綱領について農民たちに話した。党の改革案（州立穀物倉庫、銀行、農産物保険）に対する多くの支持があるとはいえ、農民たちが党を嫌っていることを、彼は早期に思い知る。タウンリーは社会党という名を伏せて社会党綱領を伝えるために影の組織を設立し、実際に社会党に加わっていることを知らない加入者を募った。彼は驚くほどに成功した。社会党のリーダーたちは激怒し、タウンリーと彼が雇った３人のオルガナイザーを解雇した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/economic_exploitation.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5064181615854467469?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5064181615854467469/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post_31.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5064181615854467469'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5064181615854467469'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post_31.html' title='ノースダコタ銀行について：州外からの支配　-経済的搾取'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5392175346178939705</id><published>2011-01-29T22:39:00.001+09:00</published><updated>2011-01-29T23:13:38.171+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：州外支配　-マシンを打ち破る</title><content type='html'>州外からの支配　-マシンを打ち破る&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
州になるまでの准州に対する保護期間は通常は短い。（およそ数年間だけ）。ダコタ準州の州への昇格は、主に州外権益による反対によって２８年間延期された。こうして州への昇格を求める戦いはノースダコタ州の特徴に、経済的植民地主義への反抗という原型と、地元の事柄に対する州外からの干渉への深い不信感を据えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１８８０年代には地元の政治家、アレクサンダー・マッケンジーがノースダコタ政界のボス・トウィード*であった。マッケンジーはノーザン・パシフィック鉄道の政治におけるエージェントであり、州資本の配置から州最高裁判事の任命に至るすべての政治決断を請け負い、鉄道会社に対して有利に取りはからった。（マシン政治を展開した悪名高いタマニーホールのウィリアム・M・トウィードの通称。「タマニー・ホール」といえば票の買収操作の代名詞であった。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタが長期の遅延の末に州への昇格を成し遂げた後、州は財政を安定させるために苦戦を強いられた。１８９０年から１９０１年の間に、豊作の年はたった４年間に過ぎなかった。そして鉄道会社は州内の土地の四分の一近くを所有しており、納税義務を怠っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
州外権益による経済支配のもとで擦り切れていき、ノースダコタ農民同盟は自立を試みたが、マッケンジー・マシン（集票組織）は事実上の改革がなされるのを阻んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世紀の変わり目には大きな改革運動が合衆国で吹き荒れた。改革者たちは民主主義を実際に機能させ、有力な政界のボスの権力を打破し、トラストと独占を抑制し、法規制を通じて社会問題を解決しようと試みた。進歩党の候補者、セオドア・ルーズベルトとロバート・ラ＝フォレットに対するノースダコタの有権者の支持は情勢変化の合図となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９０６年、アレキサンダー・マッケンジーが汚職事件に巻き込まれたことを受け、ノースダコタの改革者たちはマッケンジー・マシン（集票組織）の権力を打破し、州の経済的興廃の真のコントロールを手にする時が来たと確信した。それには４年間を要したが、１９１０年には進歩党の候補者たちは重要な選挙で勝利しはじめた。“オーネスト・ジョン”・バーク*はマッケンジーの子飼いの知事候補を打ち破った。そして初めて進歩党は下院と上院の両方の議席をおさえた。(John Burkeのニックネーム。１９０７〜１９１３年までノースダコタ州知事を務める。Honest Johnは正直者の意。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９１１年の州議会で進歩党の全面的な改革政策が通過し、超党派連盟として知られる政治的な“大草原の野火”が登場する土台を作った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/breaking_the_machine.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5392175346178939705?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5392175346178939705/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post_29.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5392175346178939705'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5392175346178939705'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post_29.html' title='ノースダコタ銀行について：州外支配　-マシンを打ち破る'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-100006170514118396</id><published>2011-01-28T10:29:00.003+09:00</published><updated>2011-01-28T11:12:36.195+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：州外からの支配　-経済的植民地主義</title><content type='html'>州外からの支配  -経済的植民地主義&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
準州時代以来、ノースダコタ州は決定権を支配する政府の腐敗と鉄道、金貸し、穀物取引の経済的三頭政治と苦闘していた。世紀の変わり目には、ノースダコタ州の経済はミネソタ州の穀物ブローカー、銀行家、そして鉄道会社の企業連合（カルテル）によって支配されていた。州の未来の経済状況はただ一つの産業ー農業ーそれも単作の小麦に基づいていた。幾人かの州のリーダーによる度重なる打開の努力にもかかわらず、カルテルによる輸送、取引、資金調達のコントロールは州をミネソタの植民地も同然の好ましくない状況に留めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ダコタ準州の鉄道建設に拍車を掛けるため、合衆国政府は土地の４つの区画毎から１つを鉄道会社に対して譲渡した。１８００年代中頃には、鉄道会社がすべての準州の土地のうち、２４％の権利を保有していた。彼らは州を越えて広範囲の鉄道網を敷き、自作農入植者をその地方に定住させるために誘い入れる大規模な広告キャンペーンを開始した。これは慈善事業ではなかった。鉄道会社は建設費用の埋め合わせと当面の収入源確保のために、乗客と貨物輸送の交通を築く必要があった。彼らは採算を取る必要があった。彼らは農民とその生産物の州外への輸送が必要であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
農民たちが新たに居住地域となったレッド川流域に殺到するにつれて、大規模なミネアポリスの穀物製粉業者らは、ダコタ準州で栽培された小麦に対する同業者間の争いをなくすために組合を設立した。組合は穀物倉庫を所有し、国内の他の地域よりも遥かに安い価格に抑えた小麦をノースダコタの農民から買い付けた。そのうえ、鉄道会社はミネアポリスの穀物製粉業者と手を組み、輸送価格を高く設定したが、無所属の仲介業者を追い払うために組合員にはリベートを渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/economic_colonialism.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-100006170514118396?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/100006170514118396/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post_28.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/100006170514118396'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/100006170514118396'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post_28.html' title='ノースダコタ銀行について：州外からの支配　-経済的植民地主義'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5166869881770586387</id><published>2011-01-28T09:07:00.001+09:00</published><updated>2011-01-28T11:21:34.538+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行について：序文</title><content type='html'>序文&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
２００５年、プレーリー・パブリック・プロダクションは、農務省農村開発基金の寛大なるサポートを通じて、ノースダコタ銀行についてのテレビ・ドキュメンタリーを制作した。本作品は、国内唯一の州立銀行として、ノースダコタ銀行独特の歴史に焦点を当てている。以下に続く史的概略は、プレーリー・パブリック・テレビジョンのご好意によって提供されたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ州の最も大きな銀行が州立であり、州によって運営されていることに多くの人は驚かされた。これはアメリカ合衆国内でも唯一の存在である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９１９年、無党派連盟に率いられた農民の反乱は、永久にノースダコタ州の経済風景を変化させた。『州コントロールによる社会実験』と呼ばれる連盟の産業計画は、州経済をコントロールしてきた州外の投資家による支配を終わらせることを求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/index.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5166869881770586387?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5166869881770586387/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5166869881770586387'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5166869881770586387'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2011/01/blog-post.html' title='ノースダコタ銀行について：序文'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4723033581107377663</id><published>2010-12-08T04:33:00.003+09:00</published><updated>2010-12-08T05:31:56.579+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>ノースダコタ銀行：アメリカ唯一の“社会主義銀行”が景気低迷のなか繁盛している</title><content type='html'>AP通信　２０１０／０２／１６&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行ー国内唯一の州立銀行は遺物のように見えるかもしれない。しかし現在、他州の当局者たちは、ノースダコタ州が国内の景気後退を乗り切るのに、その銀行が一役買うのではないかと考えている。フロリダ、オレゴン、ワシントン州の州議会議員の知事候補者たちは、州立銀行の創設を提唱している。先月、ヴァーモント州下院委員会で作成された答申書では、「その計画には“重要なメリット”がある」と述べられていた。リベラルな映像作家、マイケル・ムーアは自身のサイトでこの銀行を取り上げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そこには多くの痛みがあり、多くの州が困難に陥っており、彼らは、現在の私たちの経済的成功をノースダコタ銀行と結びつけています」。とノースダコタ銀行の総裁、エリック・ハードメイヤー氏はいう。ハードメイヤー氏は、カリフォルニア、ミシガン、ニューメキシコ、オハイオ、ワシントン州の当局者からの質問を含め、その銀行の働きについての膨大な数の問い合わせを受けてきていると語る。ノースダコタ州の失業率は国内で最も低い４．４％であり、原油生産の急上昇と強固な州予算の黒字がある。しかし「銀行はこの成功に寄与してはいません」。とハードメイヤー氏は言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私たちは恐らく“触媒”であるか、もしかするとその一部ではあるでしょう」。と語り、「これが私たちによるものと、高く評価されることは喜ばしいのですが、率直に言えば、それは事実ではありません」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行は経済開発機関、“銀行の銀行”としての役割を果たしており、民間銀行の貸付リスクを和らげ、より大きなプロジェクトへの融資の手助けをしている。さらに農家、学生、企業には低金利のローンを提供している。直近の四半期会計報告によると、昨年度末において銀行は、約４０億ドルの資産と２６．７億ドルのローン債権ポートフォリオを所有している。２００９年には５８１０万ドルの収益を上げており、６年連続の記録更新となる。これまでの１０年間で銀行は、収益のなかから約３億ドルをノースダコタ州の州庫に注ぎ込んでいる。ノースダコタ銀行は、州のほとんどの財源の倉庫であるという長所があり、それらはローンや、民間銀行に対する特別な補助（金融市場が低迷を続ける間に必要な現金）として使用することができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私たちは自分たちについて、一種の小さな『連邦準備銀行』と考えています。」とハードメイヤーはいう。ノースダコタ州は概算で、州政府機関が商業機関から受け取るよりも、０．２５％低い利子を得ている。また銀行は、州税、又は連邦税を支払わず、預金保険もない。いかなる損失も、ノースダコタ州の納税者が負うこととなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行は、無党派連盟（ノースダコタ州への融資と穀物市場の外部コントロールに対する怒りが生み出した農民の政治的な反乱）の政策の要であった。ノースダコタ州西部での亜麻栽培が破綻した後に、社会党のまとめ役となったA.C.タウンレイによって１９１５年に設立された無党派連盟は、州立の製粉所、穀物倉、食肉加工場、雹被害に対する保険とともに、農家に対する低金利ローンを提供する州立銀行の創設を提唱した。支持者たちは５年以内に、議会のコントロールと知事職を獲得した。その運動の勢いは急速に衰えるが、州が所有する二つの業務、ノースダコタ銀行と、グランド・フォークスにある州立製粉所と穀物倉、は生き残った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９４０年代から１９６０年代初期まで、銀行の業務の大半は、公的資金の預金機関、地方債の購入者であることだった、と１９８９年に銀行の歴史書を綴った著者、ロザンヌ・エナーソン・ユンカーは語る。それ以降、その経済開発活動は飛躍的に発展した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ州北部のフォート・バートホルド・インディアン居住区にあるコミュニティ、ニュータウンのレイクサイド・ステイト・バンク（州免許銀行）の総裁、ゲーリー・ピーターセンは、州免許銀行はしばしば地元の開発計画の出資を行ないたいと望んでいると語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私の経験では、まずノースダコタ銀行と交渉をします。彼らの問いは“どのように私たちは成し遂げられるだろうか”というものです」。とピーターセンは言う。「彼らは、計画を潰すような方法を模索したりはしません」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グランド・フォークの銀行、アレウス・ファイナンシャルは、リスク分散と追加の貸出資金を自己供給するために、６億ドルのローン債権ポートフォリオの約１億１５００万ドルをノースダコタ銀行へと売却した、とアレウスの銀行業務担当主任、カール・ボーリンバーグは言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「もしあなたが他の参加銀行を求めて離れていくとすれば、それはかなり無謀な挑戦となるでしょう。それらには、ノースダコタ銀行と同じような、取引に有利となる利益がありません。」と彼は言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペンシルバニア大学、ウォートン・ビジネス・スクールの経営学教授、マウロ・ギーレンは、他の州で類似した銀行が開業される見込みはないという。理由の一部として、「ここの政治文化は、そうしたものと非常に対立している」からだという。幾つかの州と中小企業庁のような連邦政府機関は、すでにノースダコタ銀行と同じ様な経済開発計画を持っている、とギーレン氏はいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他州での州立銀行のアイディアは、州の積立金からのシェアを維持したい民間銀行からの反発を呼び起こすだろう、とボーリンバーグは言う。「なぜなら、ノースダコタ銀行は非常に長くここにあるので、そうした積立金があるということが、どういうことであるかを知っている銀行がない」。と彼は言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハードメイヤーも、ノースダコタ州のモデルを他で始めことはできるのだろうかと、常に懐疑的だったという。しかし、現在はそれほど確信していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この国で起こっていることを見るとき、かつて起こったと考えられる飛躍まであと一歩なのではないか」。と彼は言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行：http://www.banknd.nd.gov/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記事に添えられていたマイケル・ムーアの作品『キャピタリズム：ア・ラブ・ストーリー』のDVD特典映像の一部より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;object width="560" height="340"&gt;&lt;param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/KX8pcADnsEs?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;rel=0"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowFullScreen" value="true"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src="http://www.youtube.com/v/KX8pcADnsEs?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="560" height="340"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『州立銀行の反対者たちは、設立を妨げる為に可能なすべてのことを行ないました。彼らは二つの異議申し立てを連邦最高裁判所に持ち込み、連邦裁判所は、州の市民が望むのであれば、可能としなければならないという判決をだしました。そして１９２０年代に干魃がおこり、彼らの夢は潰え、農家の人々は元金だけではなく、ローンの利子も払えなくなっていました。そして人々は、銀行にありのままの声明書を送りました。「私たちにはなにもありません。私たちには収穫物がなく、そして昨年も収穫がありませんでした」と。ほとんどを銀行ローンに支払わなければならず、彼らは自分たちが食べるものすらありませんでした。銀行は集金を試みましたが、ノースダコタ銀行の代表は「この人々からお金は受け取れない。彼らには何もないのだから」と語りました。それがとても明確になったのは、１９３０年代の初頭、ビル・ランガーが知事のときです。ビル・ランガーは支払い猶予指令を出しました。そして銀行はすべての差し押さえを停止し、彼らは農場に残ることができました。経済が上向いた１９４０年代始めに、銀行はこれらの農場を、銀行が引き取った価格で元の農場主に売り戻しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ノースダコタ銀行は、この私たちが被っている世界的な経済危機のなかで、驚く程上手くやっています。かつてないほど力強く。事実、この銀行は、他の銀行が被っている様な金融危機の影響に苦しんではいません。私が思うに、これは銀行の真の強さと、実際の銀行のミッションに対するテストとなっています。彼らはリスクの多いデリバティブには投資しておらず、サブプライムも購入していません。これは、彼らが行なう業務に適した方法ではなかったのです。ここ９年の間に銀行は、５億ドルを州の一般財源に返納しています。これの意味するところは、州の人々は追加徴税なしに、５億ドル分の計画を展開させることができるのです。私にとって、社会主義か資本主義かは問題ではありません。それが人々に対して最上の働きをなし、最少のコストで最大のサービスを提供するということが重要なのです』。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
http://www.huffingtonpost.com/2010/02/16/bank-of-north-dakotasocia_n_463522.html&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4723033581107377663?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4723033581107377663/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/12/ap.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4723033581107377663'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4723033581107377663'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/12/ap.html' title='ノースダコタ銀行：アメリカ唯一の“社会主義銀行”が景気低迷のなか繁盛している'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-8340598394207584835</id><published>2010-12-01T16:23:00.001+09:00</published><updated>2010-12-08T04:45:26.718+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='BND'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='North Dakota'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>どのようにして国内唯一の州立銀行がウォール街に羨まれるようになったのか？</title><content type='html'>ノースダコタ銀行は、共和党員が風変わりな社会主義の拠点とでも呼びそうな、アメリカ内で唯一の州立銀行である。またノースダコタ銀行は昨年、ちょうどその民間セクターの必然的帰結として数億ドル損失しているときに、記録的な利益を得た。なるほど、この希有な成功は、住宅投機に重点を置かず、農業による主要生産物を大事にしたノースダコタの隔絶性の高い経済によるところが大きいだろう。しかし、それは他州からの政治家たちが冷え冷えとしたビスマークに助言を求めて道を切り開くことを止めはしない。アメリカ各地での州立銀行の開業は、この金融危機からわれわれを救い出すことができるだろうか？それは確実に役に立つだろうと『Web of Debt』（負債の網）の著者エレン・ブラウン女史は言う。彼女は本の中で、ノースダコタ銀行が40億ドルの運用とともに、“独自の信用を創造し、州財政の主権の確立を国内で先導することによって”信用凍結を避けてきているという。マザー・ジョーンズはノースダコタ銀行の代表、エリック・ハードマイヤーに話をきいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マザー・ジョーンズ（以下MJ）: どのように銀行は形成されたのですか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エリック・ハードマイヤー（以下EH）:　銀行が創られたのは、人民主義運動が北部平原を席巻した９０年前の１９１９年です。基本的にそれは、東部の市場で為された決定に動揺した農業部門の大規模集団による怒りの運動でした。恐らくはミネアポリス、ニューヨークの金融市場で、誰が融資を受け、誰が彼らの商品を市場で売買するかが決定されていたのです。そしてその運動は北部平原を吹き荒れました。ノースダコタでその運動は無党派同盟と呼ばれ、彼らは実際に州議会を掌握し、産業計画を立案しました。その産業計画で、ノースダコタ銀行を資金調達の腕として、そして州立の製粉場とエレベーターを農場主からの穀物を市場で売買するために設立しました。そして現在でも、９０年前に創設された目的でこの二つは現存しているのです。私たちはほんの少しだけ手を加え、ノースダコタ州を発展させる新たな分野と方法を見つけ出してきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：何が現在この銀行を独特なものにしているのですか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：私たちの資金調達モデル、預金モデルは銀行を運営する上で、非常に独特な動力源となっています。すなわちそれは、私たちがすべての州税と納付金の預金機関であることです。なので、私たちには専属の預金ベースがあり、州財務局には競争料金を支払います。そしてそれは間違いなく、公的資金の入札でこうしたチャンスをもぎとる民間セクターには最も手に入れづらいものの一つです。しかし、それはほんの一部に過ぎません。私たちはこれらの資金を受け取り、そしてそこからが本当の違いなのですが、これらの預金をローン形態でノースダコタ州に再投資するのです。私たちは州の経済発展型の活動に対して再投資を行ない、このような仕組みを通して州を成長させています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：明らかなことですが、他の銀行も彼らの預金を投資しています。 州独自の経済に大半の資金を投資しているということとの相違点はありますか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：ええ、もちろんです。しかし具体的には、経済の一定の要素を刺激するプログラムを私たちはデザインしています。それは農業であれ、&lt;br /&gt;
経済開発プログラムであれ、州に必要だと看做されるもの、また、現在州内で大きな動きがあると見られるエネルギー関連に対するものです。そして教育。私たちは多くの学生ローンに出資しています。これが私たちのモデルです。私たちには９０年前に創設された時点で与えられた明確なミッションがあり、それが歴史を通して私たちを導いています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：他の銀行が避ける分野で、投資することはありますか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：私たちは、国内で最初の連邦保険付き学生ローンを１９６７年に始めました。そしてこれが私たちの業務の大きな部分を占めています。これは既に、極めて重要なものになっています。あなたが最近の学生ローン業界に通じていらっしゃるかわかりませんが、しかしこれは、多くが撤退を決定するだけに、とても興味深いものなのです。けれども私たちは撤退しません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：つまり、あなたたちは公益を生じる特定の分野に出資可能なのですね？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：はい。もしくは、エネルギーや第一次産業関連ビジネスの方面です。私たちは、確実な線に沿った活動を奨励するためにデザインされた低金利の貸付けプログラムを取り扱っています。その他には、ノースダコタのファーゴというところにあるコミュニティにおける重大な洪水被害に本腰を入れています。私たちは１２年前、ハリケーン・カトリーナに先駆けて別のコミュニティでこうした被害を経験しており、それは合衆国で最大の単独避難行動でした。それからノースダコタ銀行は、いったん洪水が退いたあとに、必要があるところへ災害向けローンを展開し、業務を支援しました。このように私たちは様々なシナリオに対して、異なる経済主体の成長を励ますにせよ、災害に取り組むにせよ、かなり迅速に援助を行なうことができます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：民間銀行はあなたたちをどのように考えていますか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：この銀行の興味深いところは、私たちと民間セクターが競争と提携の微妙なラインを歩んでいることを理解し合っていることにあります。私たちは民間と競争するためではなく、協力し合う為に設計され、設立されました。従って、私たちが行なうほとんどの貸出は、本来は一般参加型のものです。それは地元銀行によって始められ、私たちが参入してローンに関与し、リスクを分担するために私たちの幾つかのプログラムを利用して利率を軽減*させました。さらに私たちは、中小企業局と同様に起業家の立ち上げに対して、確実な活動を促進する保証契約を供給しています。それとは別に、私たちは銀行の銀行として、卸売銀行としての役割も果たしています。ですから、私たちは銀行に対して、小切手処理、 流動資産の保有、債券勘定保管などのサービスを提供します。恐らく国内全域で、２０以上の銀行の銀行があります。そして私たちは能力という点で、実際、ミニ連邦準備銀行としての役割を果たしています。それで私たちは、１０４の銀行に対してサービスの提供、流動資産の供給、小切手処理、そしてさらに限度額に収めなければならないときに、彼らからローンを買い取ります。法的な貸出限度の超過、もしくはリスク分散を希望してのことであれ、私たちは受け入れます。私たちは住宅ローンの再販市場であり、したがって、私たちが購入した住宅ローン、５億〜６億ドルの目録を所有しています。（*バイダウン方式：借入契約発足当初に借り手または第三者が一時金を支払い、事後の提起返済利子負担を軽減する方式。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：それでは、私的に所有されるかわりに、公的所有の「銀行の銀行」の利点はなんでしょう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：私たちのモデルでは、ローンの資金を拠出することを通じて、他の銀行を助けるために私たちの預金ベースを使用しています。さらに、フェデラル・ファンド* の取扱品目を、私たちの余分な流動資産をもって供給しています。私たちはフェデラル・ファンドを売買し、小切手処理のための手形交換所の役目を果たしています。これが、便益モデル、もしくは異なるモデルということになるでしょう。私たちは預金銀行であり、提供する為に持ち出すことができます。（Fed funds* 米国の市中銀行が連邦準備銀行に預けている資金。資金が不足した場合、市中銀行間で賃借が起こる。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：もし他の州があなたたちのような銀行を持ったならば、彼らが、今よりも金融恐慌から防護されることが可能だとお考えですか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：それはすべて経営と経営哲学にかかっています。ここ北中西部の私たちはかなり保守的で、私たちは一切サブプライムローンを行なったことはなく、デリバティブ市場に参入する能力、スワップ、コール、キャップやクレジット・デフォルト・スワップを提供する能力はありますが、単に参入しないことを選択しました。実際にウォーレン・バフェット*のメンタリティー（もし理解していないのならば、飛び込んでいくことはない。）を選択したのです。そうして私たちは、こうしたすべての落し穴を避けてきました。全てに対して完全に動じないとは言えないまでも、もちろん幾らかの不動産担保証券を購入しており、こうした問題の克服にとりかかっていますが、しかし、何も私たちが憂慮するような原因とはなっておりません。（*Warren Buffettーアメリカの著名な投資家、経営者。明確な投資哲学・スタイル（長期投資を基本スタイルとする）や先見性を持ち、空前絶後の投資運用成績を残している偉大な投資家という点だけでなく、慈善事業に積極的な点、大富豪となっても質素な生活を送っている点などから、世界中から尊敬を集めている人物。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ： あなたたちをモデルとする州は、この金融恐慌を抜け出す新たな手段を持つことができるでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：言い方を変えて、私たちの行なっている他のことについて申し上げましょう。私たちはさらに利益配当を州へと返還します。恐らく今年度は、６０００万ドルぐらいの売り上げとなり、私たちは利益の約半分を州の一般会計へと返還します。ですから、この１０年、１２年間を通して、税を補うためや公共部門に必要な財源を援助するために、１０億ドルの３分の１を一般会計へと返還しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：人口６０万人の州には、まんざら悪くないですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：その通りです。２００１〜２年に戻って、さらにもう一つ。私たちがインターネットバブルをくぐり抜けたとき、ノースダコタ州を含め、すべての州はある種の予算不足に苦しみました。当時の私たちの予算不足はあまり大したことがなく、４０００数万ドルでした。ですから、それを克服するのは極めて容易なことでした。当時の知事は単にこういいっただけです。「承知した。私たちはすべての一般会計機関から１％ずつ返還しよう。そしてノースダコタ銀行、あなたたちはバランスを取るために新たな配当金を提示して下さい」。そして私たちはそれを行ないました。私たちの資金は、それを進んで行なうのに良好な状態にあり、そして行ないました。そのように、万一に備えて、私たちは困ったときの貯えとして行動します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：そして現在の景気後退は、あなたたちを迂回しているように見えますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：ノースダコタ州は全く財源問題を抱えていません。実際に私たちは、これまでで最も巨額の黒字を取り扱っているところです。ですから私たちの心配事は、これをどうのように賢く遣い、そしてどのように未来にむけて貯えるかということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：それは抱えて悪い問題ではありませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：はい。私たちはちょっとした孤島にいるようなもので、周囲を見渡し、「なんてことだ、国の他の場所で起こっていることを見るのは信じられない」と言っている様なものです。そしてここで、私たちは完全に景気の循環に反していると。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：他の州は、あなた方のモデルに興味を抱いていますか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：私が総裁の期間、現在で９年くらいになりますが、どのように機能しているのか、他の州に対しても機能する可能性はあるだろうか、といった多くの問い合わせを他の州から頂いてきました。そして現在、ノースダコタ州知事である私の前任者は、実際、いくつかの他州の議会で、同様のモデルを設立するという件に関して証言を行ないました。これは、１〜２年前には、決して起こらなかったことだと、断言できます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：それは面白いですね。ノースダコタは伝統的にレッドステイト（共和党支持者の多い州）であるにもかかわらず、あなたたちはこうした制度をもっている。人によっては、「彼らは社会主義者だ」というかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：はい。そうしたことを何度か投げかけられたことがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：しかし、彼らは州ではとても一般的のようですが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：はい。言うまでもなく、社会主義のテーマは最近になって流行してきていますし、わずかばかり振り回されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：政治的敵対勢力や銀行の利害関係を別として、他の州であなたたちのモデルを実践して成長できると思われますか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：現在起こっていることの大半は、規則や会計実務が、あるべきところになかったことで生じた出来事に対する、脊髄反射的な反応です。ですから私のアドバイスは全員が深呼吸をすること。そして、必要なところに無くてはならない規制、背負っているリスクを理解している銀行とともに、入り込む以前よりも強固な産業として私たちはこれを終わらせ、抜け出していくということです。すべての州がノースダコタのモデルを見て、「これが全てに対する万能薬であろう」、ということにはならないと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：確かに、これが唯一の解決策ではありませんが、その一部になり得るのではないか、と私は興味を抱いています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：かも知れません。ただ、彼らがそれで何を行ないたいかによります。私たちはこの仕組みを、州内の住宅ローンの資金繰りであれ、学生ローンを作ることによってであれ、他では安心できない得意分野を供給し、州の経済成長を刺激するために使用しています。すべての州には独自のニーズがあります。私たちはここに、それなりの特定分野を切り開いてきており、銀行業界の同業者たちからも、とても敬意を払われていると思います。彼らは私たちを、競争相手としてではなく、パートナーとして見ています。もし、どこか他の州で、私たちのモデルの一部を再現して行なうとすれば、そこが鍵となるでしょう。そこが、州有企業が民間部門と競い合うという批判に対して、本当に自身を曝け出す場所となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：民間銀行の預金を吸い出すこと無く、短期間であなた方のような銀行を設立することは可能でしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：資金源として使用するために、なんらかの債券発行を行なうことができるのではないかと想像します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MJ：金融恐慌の広がりを見たあとで、業務に関する、あなた方の見解は変化しましたか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EH：それはまさに、私たちが行なっていることを強固なものにしました。すなわち、理解すること、上手く成し遂げること、顧客を知ることを貫くということです。私たちは、ホームランを狙うような銀行になろうとしたことは一度もありません。それは私たちにとってすべてではありません。私たちにはそれよりも重要な、はっきりとした使命があります。ほとんどの企業と銀行の最優先事項は、株主還元を最大化することです。そしてそれは、私たちにとっては好ましい副産物です。何故なら私たちはには結構な還元、２%のNROA（運用資産収益）、２５〜６％のROE（株主資本利益率）があります。しかし私たちが本当に最も満足を得るところは、州のニーズに応え、私たちの州を前進させるものをファイナンスしていることに確信していることです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年3月27日　 ジョッシュ・ハーキンソン&lt;br /&gt;
原著　http://motherjones.com/mojo/2009/03/how-nation%E2%80%99s-only-state-owned-bank-became-envy-wall-street&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-8340598394207584835?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/8340598394207584835/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/12/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8340598394207584835'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8340598394207584835'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/12/blog-post.html' title='どのようにして国内唯一の州立銀行がウォール街に羨まれるようになったのか？'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-9159148679610380245</id><published>2010-11-25T12:53:00.003+09:00</published><updated>2010-11-25T13:40:59.387+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='イラン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>イラン：経済改革が事実上のベーシックインカムの到来を告げる / レポート：ハミッド・タバタバイ</title><content type='html'>Basic Income Earth Network&lt;br /&gt;
Flash News 63 November 2010&lt;br /&gt;
http://www.basicincome.org/bien/pdf/Flash63.pdf&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ベーシックインカム、もしくは市民インカムのコンセプトはイランではほとんど知られていない。３年間近く行なわれた、政府の新しい経済改革を巡る論争と議論では、政治、研究、メディアからのベーシックインカムについての言及は一切なかった。そ れにも関わらず、ベーシックインカムの特質を装う、全国規模の現金譲渡計画が、今まさに始まった。約６千５万人のイラン人、もしくは人口の８１％がたった 今、銀行口座に振り込まれた最初の給付、１人８１万リアル（約８１USドル）を受け取ったところだ。給付は二ヶ月毎に行なわれ、資力調査が伴われることはなく、無条件である。また、彼らは実施を進めていきながら、数年のうちに金額を２倍にするようである。残った人口の１９％は、主にお金を必要としないという理由で、自発的にプログラムを辞退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これと同様に注目すべきは、斬新さがこれに尽きないないことにある。毎年かかる数百億ドルは、原油輸出や政府の財源から来るのではない。その現金譲渡は、様々な商品やサービスに今後国 が支払う予定であった上値から完全に資金が調達される。それらは主に石油製品で、この数十年間、巨額の補助金が拠出されてきた。（今までガソリンには１リットルあたり０．１０ドルの出費、軽油は１リットルあたり０．０２ドル以下を出費してきた。同様に、天然ガス、電気、そして水道料金やパンに対しても充てられてきた）。このような補助金は、中間所得層（人口の７０％から３０％へ落ち込む）よりも、はるかに富裕層の利益になってきており、結果として、食料 品やエネルギー資源の無駄な浪費、新技術に対する不十分な投資、環境汚染、それに加えて近隣諸国への密貿易に繋がってきた。この非効率で不公正なシステム を終わりにする為に、今年前期に『補助金対象法』が発令され、約５年をかけて、ほとんどすべての間接的、直接的な価格補助金を段階的に廃止させ、家庭や様 々な経済、社会分野に対する定期的な現金譲渡に置き換えられる。価格上昇規模はいまだ未知数であるが（２０１０年１１月半ば現在）、これらは巨額に上るも のと見られており、場合によっては数倍になると見られている。公式発表では、１１月後半に向けて新たな物価に直接影響があらわれると予測されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かなり興味深いことに、現金譲渡の普遍性と一様さは、実際に強く要求し続けたり、望んだ誰かがいたわけではなく、また政府サイドから、原案を前面に押し出し た誰かや、議会のなかで原案に対して反対し、廃案にならなければ、修正を求めるといった誰かがいたわけでなく、行なわれることとなった。それにも関わら ず、その意図はきっぱりと、住民の少数の富裕層の現金移転を目標とし、受益者を住民の所得規模の10分位数、一番下の２か５か７にするかといった駆け引きが行なわれた。そのうえ計画は、社会的公正のために低所得者により多くを支給するといったものであった。もし、結局のところ、登録する手間をかけた全ての人に同額が支給されることが決定されたのならば、それは単に、資力調査目標の大規模な実施が（１７００万世帯以上の調査票が記入され、解析された）、その結果について募った国民の抗議として大失敗に終わったことによる。全ての人への同額支給の原則は、無理矢理そこに押し込まれた。なぜならそれはただ、その 状況下では理に適っていたからだ。そこには、フィリップ・ヴァンパライスが『シンプルでパワフルなアイディア』として特徴づけたベーシックインカムの劇的な弁明は、ほとんどない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かにイランの『現金補助金』（それが公式の名称である。）は、一般的に理解されている本格的なベーシックインカム配当としては不十分である。すべての世帯員の権限は、世帯主一人に行き、成人していても、個々の世帯員には行かない。この計画の持続期間は明記されていないが、原則的には国内消費のための原油の産出が、イランで可能な限りは続けられるはずである。資力調査目標は完全には放棄されておらず、政府が現在の試みよりも目標を定めたほうが役に立つと判断した場合、復活するかもしれない。権利に基づいた ベーシックインカムの土台は、現在のイランの現金配当についての談話からは聞こえてこない。支給は人権によって市民に付与される『所得』と看做されておらず、価格補助金の損失を補う、別のタイプの補助金と看做されている。（だがこれが実質的な違いを生むかどうかは、興味深い疑問である）。これらは、きちんとした生存所得に近づいてもいない。（５人家族の一ヶ月２００USドルは、最低賃金一ヶ月分の３分の２である）。また何年も、時には数十年もイランに住んでいる２百万人以上に及ぶアフガンとイラクの難民を除外し、彼らは物価上昇の矢面に立たなければならないことになる。そして最後にいま一つ大事なことを述べるが、仮にも物価上昇が実施される日々の先々で影響を及ぼし、そしてもし、インフレが失態によって手に余るものとなれば、すべての体系が崩れ去るかもしれないという、本当の恐怖がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別の見方をすれば、これは、全国的なベーシックインカムに向けられた厳しい障害がすでに克服されたことの論証となるであろう。その計画は法律に明記されている。給付は普遍的である（十分裕福で、単に登録 を行なわなかったことによって権利を喪失したものは省く）。財源は保証されていて、中期的には持続することを目している。そしてもし改革が、政府が掲げた 消費パターンの合理化目標の達成、投資と有効性の増加、貧困の撲滅と減少のための所得の再分配に、ある程度成功したならば、彼らの未来はまさしく保証されるはずである。とりわけ、この大いに重要な社会政策の変更が、数ヶ月、数年に渡って繰り広げ、進歩する精密で、包括的、連続的な影響評価にさらされれば、 この計画の継続はまた、その欠点が見分けられ、修正されることを可能にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前人未到の領域と範囲における、現金譲渡システムによる価格補助金の置き換えが為されたイランは、全国的なベーシックインカムに向けて前進するすべての国々の最先端に置かれた。このような移行が、多くが推測していた北ヨーロッパの先進国ではなく、発展途上の、中東の、イスラム教国家でなされたという事実は、 ベーシックインカムのコンセプトが、広範囲の国々に対して妥当であることを強調する。イランの経験の特殊性は無視されるべきではない。それは大部分、国内の石油資源と並外れて歪んだ価格設定政策の複合的な可用性が可能にし、それどころか、解決の一環としての事実上のベーシックインカムの出現は、ほとんど必然的ですらある。しかしこのモデルは依然として他の国々にとって何らかの妥当性をもつだろう。特に鉱物を産出している国々にとって。また巨額の補助金を拠出している国々が、追加の課税なしに補助金を他のルートに切り替える智慧と実現可能性として、ベーシックインカムの供給を探る機会となるかもしれない。もし彼らが適切に描かれ、確信させるならば、イランの経験は幅広い適用性についての知恵を提示することとなるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このテーマに関する更なる情報は、次回のベーシックインカム・スタディーズ（&lt;a href="http://www.bepress.com/bis/"&gt;Basic Income Studies&lt;/a&gt;)の、ハミッド・タバタバイによる『ベーシックインカム：イランの補助金制度改革への道』を参照するか、hatmtab@gmail.comへお問い合わせ下さい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-9159148679610380245?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/9159148679610380245/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/11/blog-post_25.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/9159148679610380245'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/9159148679610380245'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/11/blog-post_25.html' title='イラン：経済改革が事実上のベーシックインカムの到来を告げる / レポート：ハミッド・タバタバイ'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-8359725393203545199</id><published>2010-11-17T13:44:00.006+09:00</published><updated>2010-11-17T17:34:12.969+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='銀行制度'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='public banking'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='地域分権'/><title type='text'>通貨の新たな理論のとき　</title><content type='html'>エレン・ホッジソン・ブラウン著  (2010/10/31)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちの金融システムが、（現在私たちが戦っているよう な）不況の周期的な波とともに定期的に問題に陥る理由は、銀行業と信用の役割だけではなく、通貨の本質そのものに対する欠陥のある認識に因るものであろ う。経済の成長期において、私たちは通貨を関係性から独立したなんらかの“モノ”として見なし、助長してきた。しかし今日、金や銀は私たちの通貨を裏付け てはいない。その代わりに、&lt;a href="http://www.webofdebt.com/articles/dollar-deception.php"&gt;通貨は銀行によって貸付けが行なわれるときに創造される&lt;/a&gt;。（これには連邦準備券やドル札が含まれる。これらは民間の銀行法人である連邦準備銀行によって創造され、経済主体へと貸付けられる）。事実上、今日のすべての通貨は信用、もしくは負債に由来しており、それは将来に支払うという単なる法的契約である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【関係性としての通貨】&lt;br /&gt;
オーストリア学派のレビューにある【vol.14:4, P.267~317, 2001年&lt;span style="text-decoration: underline;"&gt;】&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.atlanticfreepress.com/news/1/13877-ellen-hodgson-brown-time-for-a-new-theory-of-money.html"&gt;『信用と通貨の一般理論にむけて』&lt;/a&gt;という啓示的な論文のなかで、モスタファ・モワニ氏（オクラホマシティ大学経済学教授）はこう論じる。「通貨が真に“商品”や“モノ”であったことは一度としてない。それは常に単なる“関係性”、法的契約、信用／債務整理、負債の承認、そして返済約束である」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通貨は商品であるという観念は、貴金属コインの使用に遡ることができる。金は最も古く、最も安定した通貨として認められていると広く主張されるが、これは実 際には正確ではない。通貨は金貨とともに始まり、洗練された会計制度へと進化したのではない。それは会計制度として始まり、そして貴金属コインへと発展し たのだ。“勘定単位”（支払い済みと未払金の総計の記録）としての通貨は、“価値の保存”としての通貨（“商品”もしくは“モノ”）よりも２０００年前に さかのぼる。シュメール、エジプト文明は、こうした会計記入による決済方式を使用しており（幾つかの文明が金を使用しているように）数百年間持続しただけ ではなく、数千年間にも及ぶ。彼らの銀行のような古代の決済システムは、今日、公共サービスとして法廷、図書館、郵便局が運営される様に、政府によって運 営される公共システムであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古代シュメールの決済方式では、品物は重量によっ て価値が与えられ、品物単位で互いに測定された。重量の単位は「シェケル」であり、もともと硬貨であった何らかではないが、標準的尺度であった。それは大 麦という単語であり、元来の計量単位が穀物の重量であったことを思い起こさせる。これは重量によって、他の商品に相応する価値を持っていた。（同数の小麦 のシェケル、同数の牛、同数の銀のシェケルとは等価であった、等々）。主要な商品の価格は政府によって固定されていた。バビロンの王で立法者であるハムラ ビは、これらの計算表を詳細に定めた。利子も同様に固定され、不変であり、経済的生活を全く予測可能なものとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
穀物は穀倉に貯蔵され、穀倉は“銀行”の一形態として役目を果たした。しかし穀物は腐りやすいものであったため、最終的に銀が支払うべき総計を表す標準的な 割り符となった。農夫は市場へ行き、彼の腐りやすい商品を銀と交換することができ、そして都合のよいときに、必要に応じた他の商品をこの市場の信用で買い 戻すことができた。しかし、これは依然として単純に債務の割り符であり、これに対して後払いをする権利であった。最終的に、銀の割り符は木製の割り符とな り、紙の割り符となり、そして電子の割り符となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【信用革命】 &lt;br /&gt;
金貨 による問題は、貿易の要求を満たすための拡大が不可能であったことにあるだろう。中世の銀行家たちから進歩した革命家は、フレキシブルな通貨供給を創造す ることに成功し、勢い良く膨張する重商主義の貿易と足並みを揃えることができた。彼らはこれを預金者の口座に貸越金を支給することで創造する、信用貸しの 利用を通して行なった。のちに「部分準備制度」（信用創造）と呼ばれることになる方法の下で、銀行家たちは実際に所有する金の量よりも多くの銀行券と呼ば れる紙の受領書を発行したのだろう。彼らの海運業の依頼人たちは、製品とともに出航し、銀や金とともに戻ってきて清算をおこない、銀行家たちの帳簿の収支 を合わせることを可能にした。このように創造された信用は、急速に膨張する経済のもとで、大きな需要があった。しかし、通貨は“モノ”（金）であるという 推定に基づいていたため、銀行家たちはペテンに携わらねばならず、周期的に彼らを問題に追い込んだ。彼らは、顧客のすべてが一斉に金を引き出すことはない だろうという危険な賭けを行なっていたが、彼らが計算を見誤るか、人々が何らかの理由によって疑念を抱いたときには取り付け騒ぎが発生し、金融システムは 崩壊し、経済は不況に落ち込むこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日、もはや紙幣は金に償還すること はできないが、通貨は依然として“モノ”として見なされ、それは信用が貸付けられる以前に“ある”ものとして見なされている。銀行は今まで通り銀行信用を、前貸しすることによる信用創造に携わっており、それは借り手の口座の預金となり、小切手となる。しかしながら、彼らの支出分の小切手が整然と清算され るために、銀行は、彼らの顧客が預金した通貨のプールから借り入れねばならない。もし十分な預金がなければ、彼らは金融市場、もしくは他の銀行から借り入れなければならない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリスの作家、&lt;a href="http://www.huffingtonpost.com/ann-pettifor/the-broken-global-banking_b_748628.html"&gt;アン・ ペティフォア&lt;/a&gt;はこのように指摘する：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『実体経済に貸出を行なうマシンとして働くという、銀行制度本来の目的は機能しなくなっている。その代わりに銀行制度の目的は逆に向けられて、借入マシンとなっている』。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
銀行は低金利資金を吸い上げ、返還するにしても、高金利にして返還する。銀行は通貨の蛇口をコントロールし、小口の参加者への貸付けを拒否することができ、 彼らのローンを債務不履行にすることで巻き上げて、大口の参加者に、基礎となる純資産を買い占めるための手段として低金利クレジットを提供する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが現行スキームにおける、一つの制度上の欠陥である。その他では、銀行のローンを支援する借入金は、通常、短期ローンである。ジミー・スチュワートの 『素晴らしい人生』の貯蓄貸付組合のように、銀行は“長く貸付ける為に、短く借り入れる”。そして金融市場が突如として干上がると、銀行は大変なことにな る。これが２００８年の９月に起こった出来事である。２００９年２月に下院議員のポール・カンジョルスキーがC-Span*で述べたところによると、&lt;a href="http://www.liveleak.com/view?i=ca2_1234032281"&gt;５兆５０００億ドルの取り付け騒ぎ&lt;/a&gt;が金融市場に起こった。（*政治を専門とするケーブルチャンネル)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【証券化：金ではなく家をもとにした貸付金の貨幣化】&lt;br /&gt;
金 融市場は大口の機関投資家たちが資金を預ける“影の銀行システム”の一部である。影の銀行システムは、現在、預金取扱機関に課されている資本および預金準 備率*を銀行が回避することを容認する。帳簿記載とは別に貸付金を動かすことによって。大口の機関投資家たちが影の銀行システムを利用するのは、従来の銀 行システムでは、２５万ドルまでの預金しか保証されず、大口の機関投資家たちは日常的にあちこちへと移動させるためにそれよりも多く保有しているからだ。 金融市場はとても流動的であり、それは“証券化”、もしくは何らかの有価証券によって担保され、連邦預金保険会社の変わりに保護する。しばしば、不動産担 保証券で構成される担保物件、米国の不動産の証券化単位は、切り分けられてパッケージされた“ソーセージ型”となっている。&lt;br /&gt;
（*市中銀行の保有預金の内法定割合を高流動性資産で保有させる制度。実際には連邦準備銀行に無利子で預け入れさせる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１７世紀には金も同様に幾度となく貸付けられた。同じ家が同時に幾つか別々の投資家グループによって“担保”として抵当にいれられた。このことはすべて、 MERS*と呼ばれる電子のカーテンの裏で為されている。これは、複数によって共有された家屋をごちゃ混ぜにすることで、地域的な登記法を回避しながら、 所有者をすばやく入れ替えることを可能にする。&lt;br /&gt;
（Mortgage Electronic Registration Systems, Inc. - 米国の抵当権付き住宅ローンの新株引き受け権と所有権の運用を辿るためにデザインされた電子登録を運営する非公開企業）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら１７世紀と同様、&lt;a href="http://www.washingtonsblog.com/2010/10/how-did-banks-get-away-with-pledging.html"&gt;一つ以上の投資グループ&lt;/a&gt;が 同時に担保権を行使しようとしたとき、計画は問題に陥る。そして証券化モデルはいまや、数百年続く州の不動産法の固い岩に衝突している。これには、銀行が 直面することの無かった、確実な必要条件がある。もしかれらが、不動産担保証券の税法に応じるならば、取り組むことができない。【これについての更なる情報は&lt;a href="http://www.huffingtonpost.com/ellen-brown/time-to-break-up-the-toob_b_764625.html"&gt;こちら&lt;/a&gt;】）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
銀行家たちは大規模な詐欺に等しいことに携わってきた。やむを得ずではなく、彼らは商品（この場合は不動産）を担保して提案するために必要であったという理 由で犯意とともに着手したからだ。（拒絶されるはずがないけれども）。これが私たちのシステムに取り付けられた手段だ：銀行は実のところ、信用を創造して 私たちに貸し出してはおらず、償還するために私たちの将来の生産性を当てにしている。かつて行なった、欺瞞的であると同時に機能的外観の部分準備貸出とい う方法で。それどころか、彼らは私たちのお金を吸い上げ、高利でそれを私たちに貸し戻している。影の銀行システムのもとで、彼らは私たちの不動産を吸い上 げ、年金基金と投資信託に複利で貸し戻している。果ては数学的に不可能なねずみ講であり、本質的な制度欠陥の傾向がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【公共信用の解決】&lt;br /&gt;
現行の制度的欠陥は、いまや大手のメディアによって露わにされており、落下していくのも無理は無い。疑問は、そのとき何に置き換えるかということになる。私たちの経済的発展のために、何が合理的に導入されるだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信用が最初にくる必要がある。私たちはコミュニティとして、ポールに返済するために、常にピーターから借りているといった、複利で、一種のねずみ講に携わる こと無く、私たち独自の信用を創造することができる。私たちは、公共の信用制度、コミュニティ・メンバーの将来の生産性に基づいた取引システムに基づい て、私的に発行される信用の落し穴に陥ることを避けることができる。露にされた、不安定なペテン、秘密裏にシャッフルされた“モノ”による保証ではなく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最もシンプルな公共信用のモデルは、電子地域通貨システムである。例えば、“&lt;a href="http://www.favors.org/FF/"&gt;フレンドリー・フェイバー&lt;/a&gt;” と呼ばれるものについて考えてみる。このインターネット・コミュニティに参加するために、現在、民間銀行制度から要求されるように、資本基金や準備基金か ら始める必要はない。そしてまた、メンバーが既に存在している通貨のプールから、所有者に対して利子を支払って借りる必要もない。メンバーは単に、自分の 口座の借方に記入し、誰かの口座の貸方に記入をするだけで、独自の信用を創造する。もしジェーンがスーにクッキーを焼き、スーがジェーンの口座の貸方に５ フェイバーと記入し、自身の口座の借方に５と記入したとする。彼らは銀行がするのと同じ方法で通貨を“創造”したことになる。しかし、結果はインフレを誘 発しない。ジェーンの＋5はスーの−５と釣り合いを保つ。そしてスーが彼女の負債を、誰かに対して何らかを行なうことで弁済すれば、すべてが差し引かれ る。これはゼロサムゲームだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地域通貨システムは、小規模ではとても実用的になり えるが、国民通貨と交換を行なわないため、大規模なビジネスやプロジェクトに対しては制限されすぎる傾向がある。もし地域通貨が実質的に大規模に発展する ならば、小規模な地方を苦しめる、一種の為替レートの問題に突き当たるだろう。地域通貨は基本的にバーターであり、じっさい大規模な信用の促進するために は設計されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地域通貨システムに相当する機能は、公共所有の銀行をつくる ことによって、国民通貨の使用でも達成できる。銀行業をコミュニティの利益のために働く公共事業へと転換することによって、中世的な銀行家たちによって保 持されていた拡張可能な信用制度の利点は、同時に、民間銀行の計画にありがちな、コミュニティへの寄生的な搾取を退けていく。コミュニティによって生成された利益を、コミュニティへと還元することができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国民通貨で信用を生成する公共銀行は、コミュニティやどんなサイズのグループによっても設立できるだろう。しかし、資本、預金準備、そして他の厳重な銀行法がある限り、州（政府）は最も適した選択である。州は共同所有者の支払能力を脅かすことなく、こうした必要条件を容易に満たすことができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本として州銀行は、様々な公共基金として貯蔵された資金を使用することができるだろう。この資金は使い果たさなくてもよい。それはただ、現在資金が預けられているウォール街への投資を、州の所有する銀行へと移し替えるだけで可能である。ここに、州立銀行がとても健全で、有利な投資になり得ると判明した先例がある。現在のところ国内で唯一の州立銀行である、&lt;a href="http://motherjones.com/mojo/2009/03/how-nation%E2%80%99s-only-state-owned-bank-became-envy-wall-street"&gt;ノースダコタ銀行&lt;/a&gt;はAAに格付けされ、最近では利益の２６％を州に返還した。この選択肢を模索し、実行する脱中央化の動きが、アメリカ合衆国内で広がっている。【更なる情報は&lt;a href="http://www.public-banking.com/"&gt;www.pubilc-banking.com&lt;/a&gt;.】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは新たな明瞭さを伴って金融危機から浮上する。今日の通貨は純粋な信用である。信用が銀行によって促進されるとき、銀行がコミュニティによって所有さ れるとき、そして利潤がコミュニティに還元されるときに、その効果は、財政の機能的で効率的な、持続可能性のあるシステムとなることができる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-8359725393203545199?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='related' href='http://www.atlanticfreepress.com/news/1/13877-ellen-hodgson-brown-time-for-a-new-theory-of-money.html' title='通貨の新たな理論のとき　'/><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/8359725393203545199/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/11/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8359725393203545199'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8359725393203545199'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/11/blog-post.html' title='通貨の新たな理論のとき　'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5759342812758907091</id><published>2010-10-22T21:24:00.032+09:00</published><updated>2010-11-22T05:47:20.551+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>ユートピアとは全ての人への自由なお金</title><content type='html'>&lt;div style="min-height: 45px;"&gt;&lt;a href="http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fd20101017bj.html"&gt;http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fd20101017bj.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&amp;nbsp;２０１０年１０月１７日（日）ジャパン・タイムズ　マイケル・ホフマン&lt;/div&gt;&lt;div style="min-height: 112px;"&gt;科学的にも技術的にも、世界は絶え間なくカオスに接している。毎日あらたな何かが齎される。新しい発見、新しい装置、新しい技術、新しい救済。   変化の速度は目眩をおこさせ、私たちは辛うじて、自分たちがどこに居るかを知る。昨日の新案は、今日の標準、そして明日の時代遅れだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他の領域に於ける、人類の試みの知的麻痺は目立って対象を為している。１９世紀の資本主義は私たちの経済を支配し、１９世紀の民主主義は私たちの政治を   管理する。私たちのほとんどにとっての精神的な滋養物は、幾世代もの昔の宗教に頼っている。修正は加えられてきたものの、激変ではなかった。驚くべき新た  な政治、経済、宗教、もしくは哲学の概念について、最後にあなたが聞いたのはいつのことだろう？&lt;/div&gt;&lt;div style="min-height: 179px;"&gt;私たちがここで考慮する理念は、衝撃的なものだが、実はそれほど新たなものではない。ただその社会的地位が、ゆっくりと育ってきたというだけである。変わり   者や予言者は数世紀に渡ってそれを扱ってきた。最近知られるようになったその名称は、あなたの注意を引くつけるために名付けられたものではなく、むしろほ  とんどそうならないようにされてきたように見える。『ベーシックインカム』：誰がここに潜在的な革命を見るのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも、それは表面ぎりぎりのところにある。「このトピックに関する、世界中の幅広い情報に基づくディスカッションを育む」ために１９８６年に設立された ベー  シックインカム・アース・ネットワークが、そのウェブサイトで唱える、ベーシックインカムの定義とは、「すべての個々人に、就労や資力調査をすることな く、無条件に支給される」というものである。このシンプルな短い一文は、聖書にある「お前は顔に汗してパンを得る」から、厳然たる２０世紀の怠け者に対す る警告、「ただより高いものはない」に至る、私たちが社会通念としての千年王国として知り、考えてきたすべてに対して無邪気に反抗する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;div style="min-height: 22px;"&gt;その社会通念は間違いであったのだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;div style="min-height: 246px;"&gt;ベーシックインカムは空想的に聞こえる。確かに。トマス・モアは１５１６年の『ユートピア』にそれを予示している。   彼の想像上の理想的な島への虚構の航海は、窃盗犯の絞首刑という英国の習慣に対する痛烈な批判であり、そのなかで「すべての人々に何らかの生存の手段を与 えることは、遥かに要領を得たものであるでしょう」と言う。４００年後、イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルは（１９１８年の著書『自由への道：社   会主義、アナキズム、サンディカリスム』のなかで）“普遍的な最低限所得保障”を要求しており、それによって「一定の少ない所得、十分な生活必需品は働い  ていようがいまいが、全ての人に保障されるべきである」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスの経済学者で哲学者のアンドレ・ゴルツ氏は（１９８９年の著書『経済的理由の批判』のなかで）、私たち自身の時代の観点から状況を説明する。「“より以上”と  “より優れた”との間の関係は断たれている」と彼は主張する。「多くの生産物とサービスに対するわれわれの必要性はすでに十分に満たされており、そして多 くの未だわれわれが不満とする要求は、より多く生産することでは満たされないが、異なる生産、あるいは安定した生産に抑えることで満たされるかも知れな  い。これはわれわれの空気、水、空間、静寂、美、時間と人との接触の必要性に関してはとりわけ真実である」。彼が描き出す結論とは「このような状況におい て労働倫理は発展の可能性を止め、労働ベースの社会は危機に投げ込まれる」。モラルとしての労働の概念は、社会の実質的な支柱であることに加え、私たちの ほとんどに深く根ざしており、疑問に感じること自体が困難であるように思える。  革命と革命的なアフォリズムの父であるカール・マルクスでさえ、「必要に応じて受け取る」前に「能力に応じて働く」ことを要求する。&lt;/div&gt;&lt;div style="min-height: 246px;"&gt;&lt;br /&gt;
しかし、新たな時代は古い確信を侵食する。空想的な左翼の住処ではない「週間エコノミスト」は９月２１日発行のなかで、ベーシックインカムに９ページを捧 げ、  共感を寄せた取り扱いをしている。重要なポイントは、ワーキングプアーの衝撃的な急増である。４０年前、貧しい暮らしをしていた７歳の日本の子供は、ハイ テクの予言者としてではなく、無知蒙昧な過去を思い起こさせる人々に、そしてその人々がグローバル化した未来にショックを受けるであろうと話す。これは実際に私たちの現在である。再治療をするどころが、貧困は広がり、病的で供給過剰経済のもとでの仕事は、安定した雇用と生活賃金を保障せず、この問題の解決 とはならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仮にすべてを認めても、仮に私たちが矛盾する前提を引き受けて学ぶことができ、生きていくことの単な る事実が、生命を維持するために必要な最小限の物資に対する権利を私たちすべてに与えるとはいえ、そのお金はどこから来るのか？もしも経済がワーキングプ アーを支えられなければ、非雇用の、更には仕事を探して得ようとしない、怠惰すぎるものを支えることはできるのか？  富裕層や超富裕層はいうまでもなく、完全なる普遍性というベーシックインカムの重要な信条のために。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは可能だと経済学者・原田泰は「週間エコノミスト」のなかで主張する。彼はこのように算定した。「子どもたちと高齢者はすでに手当を受け取っているの    で、私たちは人口の１６歳から６４歳の部分（おおよそ８１００万人）についてお話しします。ひと月７万円をベーシックインカムの金額として、１年の総コス    トは、８１００万人×７００００円×１２ヶ月＝６８兆円となります。政府がその計画のもとで支払うのを止めると思われる、様々な控除や公共事業、中小企業、農家などへの補助金をそこから差し引きます。例えば、労働者の被扶養家族、配偶者に対して現在用いられている税額控除という要素も同様に。最終的には、ベーシックインカムにかかるコストはほとんどないといえるでしょう」と原田は主張する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは２１世紀最初の、技術とは無関係な革命のふちにいるのだろうか？&amp;nbsp; &lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5759342812758907091?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5759342812758907091/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/10/blog-post_22.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5759342812758907091'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5759342812758907091'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/10/blog-post_22.html' title='ユートピアとは全ての人への自由なお金'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-1608919907295119113</id><published>2010-10-12T23:11:00.003+09:00</published><updated>2010-10-14T19:39:03.532+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='video-art'/><title type='text'>contagious finale</title><content type='html'>&lt;object height="385" width="480"&gt;&lt;param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/o3c2_8sYTpw?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;rel=0"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowFullScreen" value="true"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src="http://www.youtube.com/v/o3c2_8sYTpw?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-1608919907295119113?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/1608919907295119113/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/10/artificial-finale.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1608919907295119113'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1608919907295119113'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/10/artificial-finale.html' title='contagious finale'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-7700451619719822865</id><published>2010-10-12T22:16:00.004+09:00</published><updated>2010-11-25T13:33:29.801+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='イラン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>イラン：世界初の全国的なベーシックインカム導入寸前</title><content type='html'>&lt;a href="http://www.basicincome.org/bien/pdf/Flash62.pdf" target="_blank"&gt;http://www.basicincome.org/bien/pdf/Flash62.pdf&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
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イランはベーシックインカムを導入する最初の国になろうとしています。この劇的な展開は、国際的な注目が小規模であったことと、ベーシックインカムの国際的なディスカッションが少なかったことという理由によるものです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イランは、潜在的な燃料補助金の恐ろしく非効率的システムを廃止しようと試みています。世界の多くの石油を産出する国の一つとして、イラン政府は 一年に約７０億ドルを原油輸出から得ますが、イラン政府の指導のもと、国有企業は多様な生産物を、ほとんどはガソリンですが、国際価格を遥かに下回る価格 で販売して、GDPの約３０％にあたる、概算１００億ドルを一年に失っています。このような、イラン国内の燃料消費の補助金制度のコストは、イランが海外 へ輸出する燃料によって得る収益を上回っています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この補助金制度は、イラン国民が政府から受け取る主要な手当の一つであり、多くのイラン国民は、安い燃料とその他の商品に依存する形で成長を遂げ て来ました。  政府は、国民の痛手を弱めるための別のものを供給することなしには、補助金を廃止することができません。数年間の論争を経たのち、補助金からの撤退に向け て、唯一、現実的な代償の形態としてベーシックインカムが持ち上がってきました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このようにして、裏口を通り、一般に国際的な論争で話し合われる争点をすり抜けて、ベーシックインカムはイランに到達しました。財源は、明かに非 効率的な補助金を省いたところから来ることになるでしょう。  お金は全ての人に行き渡らねばなりません。なぜならば、全ての人は補助金喪失の損害を被るでしょうし、国有企業を所有する等しい資格があるからです。お金 の目的は定められず、なぜなら政府は、目的が正確かどうかを確認する、必要な情報を収集する能力がないからです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新法に従って、歳入の内の増収分の半分を他の行政サービスに使用し、他の半分の金額は直接、申請するすべてのひとびとの助成金として使用します。 完全な段階的導入の場合は、金額はひと月に１人６０ドル（年にして７２０ドル）、もしくは、それ以上を供給する潜在的可能性があります。この見積もりは、 貧困ラインよりはるかに下回っていますが、しかし、これはとても重要な金額です。イランでは、一人当たりの年収が３５００ドルであり、アラスカの一人当た りのGDP、４２０００ドルの１０分の１以下です。７０００万人近くが適格者になると思われるイランのベーシックインカムは、アラスカ配当を受け取る数の １００倍以上になります。二つの場所の生活コストの甚大な違いを考慮すると、イランでの７２０ドルのベーシックインカムは、アラスカ（US)に現在ある １０００〜２０００ドルの配当よりも意義深いものでしょう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の計画には欠点があります。すべてのイラン市民は助成金を得る資格がありますが、お金は世帯主に支払われ、そのほとんどは圧倒的に男性です。 従って、一部の男性が、かれらの妻、子供たち、そして扶養家族が、助成金を得られないようにする支配力を持つことになるかもしれません。また、イランに在 住する外国人（ほとんどがイラク、アフガンニスタン難民）は助成金を受け取ることができないにも関わらず、補助金の損失を他の住民と同程度に被ることにな るでしょう。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
段階的導入は、２０１０年の９月と２０１１年の３月のあいだに始められる予定になっています。段階的導入がどの程度の期間かかるかは明確に示され ていません。法律はすでに通過しました。９０％以上のイラン国民はすでに助成金を申請しています。しかし、イランの政治システムは混沌としており、いまだ なんらかの実質上の変化があるかもしれません。実際に行なわれるまで、私たちは正確に把握することができません。私たちにできるのは、ただ、成り行きを見 守ることです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-7700451619719822865?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/7700451619719822865/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/10/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7700451619719822865'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7700451619719822865'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/10/blog-post.html' title='イラン：世界初の全国的なベーシックインカム導入寸前'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-7824975036054340014</id><published>2010-09-25T02:09:00.002+09:00</published><updated>2010-10-01T18:22:56.744+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='video-art'/><title type='text'>uni-diversity</title><content type='html'>&lt;object height="385" width="480"&gt;&lt;param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/0MO_Qs1B__M?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;rel=0"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowFullScreen" value="true"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src="http://www.youtube.com/v/0MO_Qs1B__M?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;blockquote&gt;『「天地の始」、一切の存在者がものとして現れてくる以前の「道」、すなわち根源的「存在」には名前がない。それは言語以前であり、分節以前である。それを老子は天地分離以前という。ところが名の出現とともに天と地は互いに分かれて「道」は「万物の母」となる。言語によって無分節の「存在」が分節されて、存在者の世界が経験的に成立する。』      　　　「意識と本質」井筒俊彦 著　より&lt;/blockquote&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-7824975036054340014?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/7824975036054340014/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/09/uni-diversity.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7824975036054340014'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7824975036054340014'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/09/uni-diversity.html' title='uni-diversity'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4565005947296403477</id><published>2010-09-05T03:22:00.002+09:00</published><updated>2010-09-25T02:11:46.499+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='video-art'/><title type='text'>objet a</title><content type='html'>&lt;object height="340" width="560"&gt;&lt;param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/YtzQ8HeBFRA?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;hd=1"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowFullScreen" value="true"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src="http://www.youtube.com/v/YtzQ8HeBFRA?fs=1&amp;amp;hl=ja_JP&amp;amp;hd=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="560" height="340"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4565005947296403477?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4565005947296403477/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/09/objet.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4565005947296403477'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4565005947296403477'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/09/objet.html' title='objet a'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-6860966971357408337</id><published>2010-08-26T23:50:00.006+09:00</published><updated>2010-08-28T01:13:07.276+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>グノシェンヌ</title><content type='html'>&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/THaASRJqjVI/AAAAAAAAAiM/M6R43rDh_aY/s1600/%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%88%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%B0%97%E3%81%AA%E3%81%97%E3%81%AB%E8%A6%97%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%A4%B1%E6%9C%9B%E8%8B%A6%E7%97%9B%E6%B1%9A%E8%BE%B1%E5%AB%89%E5%A6%AC%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E8%B5%A6%E3%81%97%E8%88%88%E5%A5%AE%E6%81%8D%E6%83%9A%E6%AD%93%E5%96%9C%E3%82%92%E4%BC%B4%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B2%BE%E6%B0%97%E3%82%92%E5%A5%AE...%EF%BC%88%E5%BE%8C%E7%95%A5%EF%BC%89.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="640" src="http://4.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/THaASRJqjVI/AAAAAAAAAiM/M6R43rDh_aY/s640/%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%88%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%B0%97%E3%81%AA%E3%81%97%E3%81%AB%E8%A6%97%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%A4%B1%E6%9C%9B%E8%8B%A6%E7%97%9B%E6%B1%9A%E8%BE%B1%E5%AB%89%E5%A6%AC%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E8%B5%A6%E3%81%97%E8%88%88%E5%A5%AE%E6%81%8D%E6%83%9A%E6%AD%93%E5%96%9C%E3%82%92%E4%BC%B4%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B2%BE%E6%B0%97%E3%82%92%E5%A5%AE...%EF%BC%88%E5%BE%8C%E7%95%A5%EF%BC%89.jpg" width="532" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　&lt;object height="28" width="335"&gt;&lt;param value="http://www.divshare.com/flash/audio_embed?data=YTo2OntzOjU6ImFwaUlkIjtzOjE6IjQiO3M6NjoiZmlsZUlkIjtpOjEyMzkwOTIyO3M6NDoiY29kZSI7czoxMjoiMTIzOTA5MjItZDU1IjtzOjY6InVzZXJJZCI7aToyMDA3ODM2O3M6MTI6ImV4dGVybmFsQ2FsbCI7aToxO3M6NDoidGltZSI7aToxMjgyOTI1NDI1O30=&amp;autoplay=default" name="movie"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowFullScreen" value="true"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="wmode" value="transparent"&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed wmode="transparent" height="28" width="335" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" src="http://www.divshare.com/flash/audio_embed?data=YTo2OntzOjU6ImFwaUlkIjtzOjE6IjQiO3M6NjoiZmlsZUlkIjtpOjEyMzkwOTIyO3M6NDoiY29kZSI7czoxMjoiMTIzOTA5MjItZDU1IjtzOjY6InVzZXJJZCI7aToyMDA3ODM2O3M6MTI6ImV4dGVybmFsQ2FsbCI7aToxO3M6NDoidGltZSI7aToxMjgyOTI1NDI1O30=&amp;autoplay=default"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-6860966971357408337?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/6860966971357408337/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/08/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6860966971357408337'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6860966971357408337'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/08/blog-post.html' title='グノシェンヌ'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/THaASRJqjVI/AAAAAAAAAiM/M6R43rDh_aY/s72-c/%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%88%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%B0%97%E3%81%AA%E3%81%97%E3%81%AB%E8%A6%97%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%A4%B1%E6%9C%9B%E8%8B%A6%E7%97%9B%E6%B1%9A%E8%BE%B1%E5%AB%89%E5%A6%AC%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E8%B5%A6%E3%81%97%E8%88%88%E5%A5%AE%E6%81%8D%E6%83%9A%E6%AD%93%E5%96%9C%E3%82%92%E4%BC%B4%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B2%BE%E6%B0%97%E3%82%92%E5%A5%AE...%EF%BC%88%E5%BE%8C%E7%95%A5%EF%BC%89.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-39549701142745132</id><published>2010-07-23T05:19:00.001+09:00</published><updated>2010-07-23T05:20:29.728+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>枯れてもなお残るは薔薇の名前</title><content type='html'>『薔薇・薔薇十字会・ロザリオ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キリスト教徒は、サラセン人からロザリオを受け継いだ。それを受け継いだとき彼らは、el-wirdia（文字通りの意味は、朗唱する人）という 言葉を、本来の音にほぼ近い、薔薇の輪、もしくは薔薇園を表す、el-wardiaという別の言葉に翻訳した。ロザリオにあたるアラビア語を完全な形で示 せば、el-misbat、el-wirdiat（朗唱する者の礼賛者、もしくは近くに引き寄せることの礼賛者）となる。この用語(WRD)は、スー フィーもしくはデルヴィーシュの特殊な行に用いる特別な専門用語である。イメージを創り出すために類似した言葉を使うというスーフィーの詩的（もしくは紋 章学的な）方法の採用が誤訳でないのと同様に、カトリックのラテン語への翻訳も誤訳とはいえない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
デルヴィーシュの行を表す「ウィルド」(wird)という言葉を、スーフィーたちは、詩的にWaRDすなわち薔薇と呼んでいた。「薔薇十字主義」 という用語に関しても似た様な展開が生じた。これは、WRDという語根と、アラビア語の「十字」という意味の語根SLBを合わせたものである。したがって 「薔薇十字」という言葉の中で使われている、SLB語根の十字という意味は、ほんの付随的なものに過ぎない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スーフィーたちは、こうした符号もしくは詩的な並置法を利用して、例えば「キリスト教徒には十字架しかないが、わたしたちには十字架の神髄があ る」、あるいはそれと似た様な言い回しをするが、翻訳ではその意味の多重性は失われてしまう。あるデルヴィーシュ教団（アブドゥル・カーディル・ジーラー ニー教団）は、こうした秘儀的意味での薔薇という観念を中心にして形成されていて、その創始者は、バグダートの薔薇と呼ばれている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
薔薇十字会のような存在について為される、役に立たない憶測の多くは、こうした背景についての無知が原因となっている。なぜなら薔薇十字会は、そ れと並行して発達してきた錬金術と呼ばれるものに含まれている古代の教え、また自らを薔薇十字会員であり、錬金術師にして照明学者でもあると主張している ベイコン修道士も示唆している、古代の教えを保持しているという主張を繰り返しているに過ぎないからである。スーフィズムにおけるこうした組織の起源は、 ベイコンがどんな組織に属していたか、秘密の教えとは、実のところどんなもので、あったのかという問いに解答を与えている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の多くの薔薇十字会の象徴もスーフィー的である。マルティン・ルターは、自分の紋章に薔薇と十字と指輪を使ったが、これはスーフィーの秘儀参入者から与えられたものに違いない。』 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イドリース・シャー著　「The Sufi」注釈より &lt;a href="http://amzn.to/cKpEMi" target="_blank"&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-39549701142745132?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/39549701142745132/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/07/blog-post_23.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/39549701142745132'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/39549701142745132'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/07/blog-post_23.html' title='枯れてもなお残るは薔薇の名前'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5894755329980569528</id><published>2010-07-20T18:51:00.001+09:00</published><updated>2010-07-20T18:51:50.226+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='備忘録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><title type='text'>環境世界（続）</title><content type='html'>・・・自然科学者のさまざまな環境世界において、客体としての自然が演ずる役割は、きわめて矛盾に満ちたものである。その客観的性質を一つにまとめあげようとするならば、混沌が生まれてくるだけであろう。しかもなお、これらさまざまな環境世界はすべて、あらゆる環境世界に対して永遠に閉ざされた一つのものによって、育てられ、担われている。それによって生み出される全ての世界の背後には、永遠に認識することが出来ない主体ー自然が隠されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル　「生物から見た世界」第十四章から&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5894755329980569528?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5894755329980569528/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/07/blog-post_20.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5894755329980569528'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5894755329980569528'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/07/blog-post_20.html' title='環境世界（続）'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4856888088579918430</id><published>2010-07-20T09:08:00.005+09:00</published><updated>2010-07-20T18:46:14.522+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='備忘録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><title type='text'>環境世界</title><content type='html'>・・・したがって、環境世界には純粋に主観的な現実がある。環境の客観的現実は、けっしてそのままの形で環境世界の中に現れるのではない。客観的現実は、つねに知覚標識あるいは知覚像に変化し、作用のトーンを与えられる。そしてこのトーンは、刺激それ自体のなかにはまったく存在しないにもかかわらず、客観的現実はそれによってはじめて現実の対象物となるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして最後に、単純な機能環は、知覚標識と作用標識がともに主体の表現であり、機能環の含む客体の性質は単にそれらの標識の担い手の働きをしているに過ぎないということを我々に教える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして、あらゆる主体は、ただ主観的現実のみが存在し、そして環境世界のみが主観的現実である世界に生きているという結論に到達するのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主観的現実の存在を疑うものは、自分自身の環境世界の基礎を認識していないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル　「生物から見た世界」第十二章から&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4856888088579918430?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4856888088579918430/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/07/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4856888088579918430'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4856888088579918430'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/07/blog-post.html' title='環境世界'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4911971627667249537</id><published>2010-06-09T04:34:00.017+09:00</published><updated>2010-09-18T04:33:21.377+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='writings'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='essay'/><title type='text'>あなたたちは防備を持たなくなるだろう</title><content type='html'>&lt;div id="view_field"&gt;—　メドガー・エヴァーズからミシシッピ州の市民活動家へ　&lt;br /&gt;
１９６３年６月１２日　暗殺される直前　—&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アリス・ウォーカー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の胸は張り裂けそう。けれども構わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひとつには、これらの言葉を書き付けたすぐ後に、私は泣くことができた。椅子や棒で抵抗を試みた、ガザに支援物資を運ぶ無防備の平和活動家を イスラエル特殊部隊が襲撃したことを知って以来、できなかったことだ。善良になることの意味を知ることに感謝している；自由船団の人々が、時として、地上 で最も汚れなき人々であったことを、私は知っている。彼らは黙って傍観せず、そして残酷で不断な他者の破壊を見張り、その状況に対して身体以外の非武装を 維持した。破壊に彼ら自身を捧げること無く。平和、疎外、正義、女性、有色人種、キューバ人、動物たち、インディアンの人々、そして彼女、この惑星のため のデモと抗議の日々：学生時代に始まる若年の頃から、このような人々を知る、長い歴史があることに私は感謝している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はメドガーの声明にある、あまりに勇敢であまりに純粋な誠実さに嗚咽した。ミシシッピにある、私が早晩住むことになるだろう場所からそれほど離 れていない車庫で、彼が銃弾に倒れたことに泣いた。「黒人差別をなくせ」と書いたTシャツの箱を腕にして。想像するだにおぞましい、米陸軍の人種差別的扱 いのもとで訓練を受けたにもかかわらず、彼は最後まで解放軍の平和な兵士であることを貫いた。たとえ目一杯の微笑みを通してでさえ、私は泣き、そして悲し みが止むことはないだろう。彼が残した美しい若奥様、マーリー・エヴァーズのために。彼女自身は今まで通り強く、真実の闘争に集中した。そして彼らの子ど もたちのために。運命によって彼らが父親を無くしたとき、まだ理解できていなかったかもしれない。正義のための闘争のあの特殊な局面では、私たちが捧げる 準備のあった生命を失う危険を冒しているだけではなく、子どもたちの生命までもが危険に晒されていたことを私たちの誰も想像できなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何物もメドガーを護らなかった。そして私たちを防衛するものは何も無い。私たち自身と、間違いなく私たち自身でもあると認識する他者への愛以外に は何も無い。私たちの生き方以外には何ものも、私たちを護ることはできない。私たちはどのように生きてきただろうか；愛と慈悲による戦いだけが、私たちを 保証する唯一の盾である。それでも、私たちが心から孤独を思い知る瞬間は、私たちの生存が究極的な危機にあるときに、私たちの政府がそこにいないというこ と、それが衝撃の一つだ。とりわけ、私たちのために制度があるという幻想を持ち、心から溶け込んでいたならば。有り難いことに、私は一度もそうした錯覚を 持つには至らなかった。そして、すべての平和の証明、すべての非暴力的衝突は汚れなき供物である。私はこのことに後悔はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年１２月、ガザに支援物資を運び込む  CODEPINKの奔走をサポートするため、カイロにいたときに私は折り悪く流感に伏し、それほど捧ぐことができな  かった。ホテルのベッドに身を横たえ、エジプトがフリーダムマーチに同行するためにやって来た１４００人のガザ入りを拒否したことで、街の周囲でなにが起   こっているのかについての他の活動家たちの報告をきいていた。私は多くの痛ましいことを耳にしたが、たった一つだけ私が羨望に近いものを感じたのは、フラ   ンス人活動家たちが一斉に彼らの大使館の前に詰めより、大使が外へ出て、建物の外で快適なキャンプ生活ができるよう取りはからうと、彼らに話したことだっ  た。異郷の地における、彼の国の活動家たちのためのこの小さな意志表示は、深く私を感動させた。数十年前、攻撃されそうな隣人、キューバを護ろうと、看   板、スローガン、そして歌を掲げた凍える生徒たちと教師たちのデモ隊に、ケネディのホワイトハウスの誰かが（恐らくコックだろう）コーヒーを差し入れた時  と同様の感動を味わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラエルは私たちの友人たちをどこに収容したのだろう？私は一晩中、このことを考えていた。彼らが船の上で殺害し、傷づけた者たちは？「私の」 政府は、  彼らの遺体を尊重することに対して、十分な主張ができるだろうか？傷つけられ、生き残った者に対する治療と看護を要求できるだろうか？看護だけではなく、 彼らが受けるに値する親切心と敬意は？もしこのささやかで全うなことを政府ができなければ、この惑星を守り、癒すための何の益が政府にはあるのか？困窮に 対する支援の試みは対立的ではなく、自由船団の活動家たちは他の、より正式なチャンネルを通すべきであると、米国のスポークスマンが国連で意見を述べるの を聞いた。（正確な引用ではない。）これは半世紀前に学生たちが人種隔離政策を止めさせようとして、弾丸、首縄、爆弾を受けていた時に、大学の理事が忠告 したこととほとんど同じである。私は、この人間が全く漠然と述べたことに恥ずかしさを感じた。（人が他者による辱めを許容できる程度に）：人が期待した、 何の役にも立たない遠い過去からの声。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特殊部隊は平和活動家の攻撃を受け、すべては武装した襲撃者の「リンチ（私刑）」のようだった、という虐殺についてのイスラエルのスピン（ねつ 造）は、 レッド・フォックス*のジョークを思い出せた。（*Redd Foxx  黒人のアメリカ人コメディアン、俳優）その下品さにも関わらず、私はレッド・フォックスが大好きだ。妻は他の女性とベッドにいる夫の浮気現場を取り押さえ た。恐らくパンツの中に性欲を迸らせながら、夫は言う「そうかい。どうぞ君の嘘つきのお目々を信じるがいいさ！」もしこれがイスラエル政府に例える手段で なければ、悲劇ではなく、興があるものであったことだろう。そして私たちのメディアが、この非道な襲撃による、監禁、負傷、死亡の被害者の批判を企ててい なければ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、何をすべきだろうか？ローザ・パークス**はバスの前方に座った。（**Rosa Parks  アフリカ系アメリカ人の市民活動家）マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは彼女の勇気ある行動に続いて、彼自身の勇気を伴い、響き渡る、慈悲深い声を 使って、アラバマ州モンゴメリーの人々のバス会社に対する不断のボイコットを喚起した；会社は例えバスが空であっても、有色人種の人々を前方に座らせるこ とを拒んでいた。今度は私たちの番だ。私たちが一斉に良心を前面に示し、私たちの唯一のバス、人生の前方に腰をおろす時がきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日のパレスチナとイスラエル間の局面は、どのような様相を呈しているだろうか？数十年間、だらだらと引き延ばされてきたこの“行き詰まり”。地 球上のあ  らゆるところで、人類全体が正義を擁護すべく行動したならば、この“紛争”は一週間で終わりを迎えるだろう。もしかすると私たちはそれを学んでいるのだ！   人類はローザ・パークスの孫、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの孫のように見えるだろう。私たちが人生を平和と幸せに費やすことができるところに  だけ、お金を費やしているように見えるかもしれない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、ガザ及びヨルダン川西岸地区の占領を終わらせるための、イスラエルに対するボイコット、負の投資、制裁措置（BDS）をサポートするだろ う。そしてこの取り組みによって痛みを和らげ、何世代にもわたって不当に扱われてきた人々の悲しみに寄り添い始める。さらにこの行動は、イスラエルが道を 踏み外したことを私たちが見てきたということ、しばしば愛をもって呼びかけてきたということ、そして聞き入れられてこなかったということを、イスラエルに 気付かせるかもしれない。実際今まで、中傷、侮辱、そしてあまりにも頻繁な身体的危害と出くわすためだけに、私たちは手を差し伸べてきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間性へのいかなる虐待、人間性の低下、人間性へ与える屈辱から、援助を撤退させ、無効にし、そして抑制する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが私たちに出来ること。我ら人民；最終的にすべての権力を持つ。我ら人民；決して勝てると信じることを忘れてはならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我ら人民。（我ら人民　We the people：アメリカ憲法前文）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは絶えず私たちのもとにあり続けた；政府の移り変わりを監視しながら。そして、これからも絶えずあり続ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アリス・ウォーカーは詩人、小説家、フェミニスト、そして活動家。彼女の受賞作品は一千万部を突破している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
The Electronic Intifada, 4 June 2010&lt;br /&gt;
&lt;a href="http://electronicintifada.net/v2/article11319.shtml" target="_blank"&gt;http://&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;electro&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;nicinti&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;fada.ne&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;t/v2/ar&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;ticle11&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;319.sht&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;ml&lt;/a&gt; &lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4911971627667249537?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4911971627667249537/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/06/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4911971627667249537'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4911971627667249537'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/06/blog-post.html' title='あなたたちは防備を持たなくなるだろう'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-969140099935243232</id><published>2010-05-14T22:40:00.008+09:00</published><updated>2010-06-21T12:13:13.724+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='社会信用論'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ダグラス'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>C.H.ダグラスの経済学とルドルフ・シュタイナーの経済学の関連について</title><content type='html'>C.H.ダグラスの経済学とルドルフ・シュタイナーの経済学の関連について
オーウェン・バーフィールド著

http://www.rsarchive.net/RelAuthors/BarfieldOwen/barfield_economics.php

最近ロンドン局から放送された、C.H.ダグラス少佐とデニス・ロビンソン教授の議論は、世界が理解し始めたダグラス少佐の経済理論、その名に負う「社会信用」運動への関心の高まりを示している。イギリス人智学協会の多くのメンバーは、ダグラスの経済学とルドルフ・シュタイナーの経済学との、何かしらの関連を漠然と意識している。例を上げれば、ダグラスはその著作のなかで「社会三層化論」を引用する、数少ないイギリスの作家の一人である。彼はロンドン本部の協会で講演を行なったことがある上、イギリス人智学協会の数人のメンバーは長年、個人的に社会信用論に興味を抱いてきた。したがって、もし関連があるならば、誰かがどの様な関係があるのかを示してみると良いのではないだろうかと、そんな試みを今回の論説で行なってみようと思う。当然、著者には、司教座の前でそのような資格はないのだが。著者は確実な所見と結論に達した二人の生徒に過ぎなく、もちろん文責のすべては著者にある。

シュタイナーの経済学講座は、人間自身の本性は一方で自然、他方で精神の間の本質的両極性を持っているという概念に基づいて構築されている。これについては、彼の著書「社会三層化論」と共通している。ところが著書は、人間社会全体の中で本質的両極性が、どのように自身を表出するために努力しているかを明らかにしているが、経済学講座では経済循環に関して、生産と商品の交換に関してのみを扱う。それは主に「社会三層化論」全体の三分の一部分とだけ関係している。

しかし、その本質的両極性とその両極性から生じる三位一体性（trinity）は、（すべての純粋な有機生命体にあるように）社会構造全体におけるのと同様に、部分にも顕われている。そして経済学講座の最初の講義で、シュタイナー博士は極めて実り多い「経済的スペクトル」の概念について述べ、自然と赤外線を経済プロセスの一つの端に、そして精神と紫外線をもう一方に置くという類比を描きだす。純粋な経済プロセスは、この二つの間に位置し、それらの相互作用の結果である。それに続く講義でシュタイナーは、この作用の更なる詳細について述べる。どのように人間の精神が自然に作用し、商品や品物の生産を行ない、同時に、経済的価値を発生させるか、そして商品や品物自身が消費、腐朽に接し、再び自然へ還ることを通じて、経済的価値が無効化され破壊される、あるいは、されるべきであるかを教える。精神がこのように自然を変質させる一つの主要な手段、産業文明の特徴的な手段は労働の分業として知られるプロセスである。労働の分業とともに、半−精神の対象物として「資本」が実体となる。

資本とは機械類、建物、その他同類の実物資産といった様相を呈していて、それはマネーといった様相にも交換可能なものである。【1】具体的に言うとマネーとは商品であるが、しかし他の商品とは区別される何ものかがある。そしてそれは、「摩耗しない」と普遍的に容認された虚構である。摩耗するものから作られた貨幣の（素材としての貨幣はすり減るが）、額面上の価値がすり減ることはない。（そのように容認された虚構である）。それは永遠に続くと思われている。さて、これは収集して貯蔵することの出来る、ある商品の特徴であるが、もう一方で、これは永遠に商品であり続けるわけではない。（これも同様に特徴である）。適当な時期に蛾と蛆が世話をし、やがてその物資は自然へと還る。しかし物質的腐敗といった破壊からは免れていると、単に“思われている”に過ぎない観念を貯蔵することはできない。それが時空間のなかに存在することはありえない。観念とは、新しくも古くもなく、ここでもそこでもなく、ただ真実であるか否かである。今日では、マネーの根源的性質に、このような自己矛盾があると考えられている。不調和に組み合わされた自然と精神は、絶え間なくその中でばらばらに争い合っている。さて、マネーが手から手へと自由に通過する単なる交換媒体として機能している限り、つまり、マネーが代価として使われている限り、この自己矛盾の悪影響は絶えず修正されている。消費の為のそれぞれの購入には、経済的価値の破壊がある。しかしマネーが貯蔵され始めるや否や、換言すると、投資に使用され始め“資本”の様相を呈するとすぐに、その自己矛盾は効果を発揮する。そしてそれは意識的に抑制される必要がある。

マネーの本性のなかにある、この自己矛盾要素が表出することで、シュタイナーが“資本の自己保存的性質”と呼ぶ極めて重大な法則が顕われる。もし経済的価値の創造される割合が、価値の崩壊の割合に対して不釣り合いであれば、（市場に）吸収されない大量の資本が、商品の交換と循環を遮ることで、経済システムの大混乱を招く。その結果は産業不振　−　説明を要求しなれた事態である。

さて、資本の自己保存的性質という観念は、むき出しの概念としてかなり容易に理解される。これを理解することと、日常的な出来事にどのように適応されるかについて、明快な見解を得ることとは異なる問題である。まず疑問が生じる：資本とはなにか？これに答えるには、ダグラス少佐の研究を参照する以上に誰も良くなし得ない。先日の、金融及び産業に関するマクミリアン委員会で、ダグラスが提出した証拠を例にとる。現代の我々の金融制度のもと、資本が負担をかける方法とは、不適切に商品価格へ計上されることにある。これには、かなり注意深い説明を要する。Aは1000ポンドを所有しており、彼はこの1000ポンドを家屋の建築に使おうと決める。彼は100人の作業員を家屋の建築のために雇い、10ポンドずつの賃金を彼らに支払う。（1000ポンドはすべて賃金に回ってしまうという主張を度外視して仮定される）。最終的な段階で、状況はこのようなものとなる　—　Aは家屋を所有し、マネーはない。100人の作業員たちは1000ポンドを所有する。さて、作業員たちが協力し合い、彼らがAのために建てた家屋を、Aから1000ポンドで買い戻そうと決定する。Aは1000ポンドで売ることに了承する。こうしてAはこの例えから消え、作業員たちが家屋を所有し、マネーはないという状況となる。（実例を解りやすくする為に、作業員たちは家を建設している間、他の生存手段を持っていたと仮定する）。マネーがない？購入のためのマネーがないのである。作業員たちは家屋を工場として使用する目的で、有限会社を立ち上げると仮定する。工場は商品を生産し、市場へ出荷する。さて、今や工場主、もしくは株主となった彼らは、どのような理由で最低価格を決定し、商品が幾らならば納得できるだろうか？【2】（今日、この最低価格は生産コストと呼ばれる）。【3】

ダグラスが指摘するのは、100人の工場主が労働によって工場を手に入れたとも、また1000ポンドを工場に“支出した”とも言わないだろうということである。（そしてその結果、マネーは残っていない）。彼らは1000ポンドを“投資した”と言うだろう。この二つの言葉の意味の間には、世界の相違がある。もし私が楽しむために1000ポンドを使うとすると、即ち、もし私が1000ポンドを消費可能な品物と交換すると、最終的に私は1000ポンドが私のものではなくなることに同意する。しかし、もし私が工場の購入に1000ポンドで“投資”を行なうか、あるいは1000ポンドを工場主に貸付けるとすると（総計は同じであるが）、私は10年後にこの工場へきて「私の1000ポンドを現金で返せ」と言えることを要求する。私がこのことを、その工場の売却として、またはローンの回収として行なおうと違いはない。想像してみてほしい。10年の間に工場は使い古されている！そしてその結果として、その10年間に工場で生産される商品の価格には、単に工場労働者の賃金や原材料費が含まれるだけではなく、10年後に私に返済する1000ポンドを蓄えるために、それを商品価格に含めなければならない。

これがまず、資本の自己保存的性質が、普段の生活に影響を及ぼす格好の例である。売却される商品の価格として影響を及ぼす。正当であるか否かが、現時点でのポイントではない。最低限明らかなのは、もし、1000ポンドの投資家たちが快く承諾していたならば、十年後に工場が使い古されていることで、彼らの1000ポンドの資本は、もはや存在すべきでないものとして、彼らの生産コストに、予定されていた1000ポンドを記載する必要がなかっただろう。つまり、最低価格で商品を販売することができるということである。

一度あなたの中で、支出と貸出、消費として購入することと、投資として獲得することとの、根本的な違いが明確になると、シュタイナーが経済学講座で、マネーについて言わんとしたことを、随分理解したことになります。消費可能な商品に支出したマネーは、交換されたマネーである。しかし、もし私が1000ポンドを貸し付けるか投資をすると、私の借り手は、翌週には賃金として支払い、そして手から手へと渡っていく状況であるにも関わらず、そこにはある種の影、あるいはマネーの幻影として私の所有権が残存するだろう。これが私の金融資本である。これが、シュタイナーが‘Leihgeld’と呼んだものであり、貸付金、もしくは（私はこのように訳すのを好むが）“投資金”である。

資本の本性と自己保存的性質については、これくらいにしておこう。我々が引き続き、この性質の影響について考察するならば、ルドルフ・シュタイナーによってであろうと、ダグラス少佐によってであろうと、この問いに導かれる。“賃金”という言葉は、なにを意味しているのだろうか？家屋と作業員の例のなかで、賃金は彼らの“作業に対して”支払われると述べられている。しかし実際、賃金と呼ばれる、これら支払われたマネーは、3つの異なる方法で考察することがで可能である。（1）“労働”と呼ばれる（仮想の）商品の、売り手に対して支払われる価格として。（2）生産者自身が消費者として、彼らの生産物を消費可能とする配布物として。あるいは（3）生産者が創り出した商品、または商品価値に対して支払われる価格として。

最初の方法は、今日において一般的に賃金とされているものである。これまで発展してきた産業構造のなかで、労働は商品と見なされてきている。二番目の方法はダグラス少佐の著書の中で、賃金としている方法である。その着想の本質は、世界の国々がごく自然に、多かれ少なかれ、間違いなく商売敵として考えられていた時代から、唯一実際の経済単位が全世界である、この時代に至るまでの経済理論の変遷を記している。【4】三番目の方法で賃金としているのが、ルドルフ・シュタイナーによるものである。

資本の自己保存的性質によって、価格に影響が生じることへと戻る。まず始めに、賃金についての、一番目の概念の認識の下で考察してみよう。最低価格を決定するために、どのような考察が為されるだろうか。賃金が“労働”と呼ばれる商品の価格と見なされ、見積もられる上で、株主もしくは工場主たちは、彼らの工場が出荷する商品の価格が、幾らであれば承諾できるだろうか？

思い出してください。今や作業員たちは、最初の1000ポンドを所有していない。（いわば購入のためのマネーがない）。したがって、彼らは労働者に支払うために必要な資力を借入れなければならない。その結果、この最低価格は、少なくとも三つの要素から成立するだろう。

（i） 労働コスト（賃金）
（ii） 原材料費
（iii） 1000ポンドの資本金（貯えるため）

これが、賃金は労働と呼ばれる商品に対して支払われる価格であるという原理の上で、算定したコストの結果である。いったん我々は、製造された商品のコスト（とその最低売却価格）が決定される際に、賃金が単に三つの要素の一つでしかないことに注目した。しかし、賃金は実際、消費者となるものへと購買力が分配される、主要な手段でもある。当然の結果として、(a)生産商品がコストよりも安く販売されるか、(b)購買力の分配が、同時に他の供給源から為されるか、(c)“賃金”が全体的に異なる基準で算定されない限り、問題とされている間ずっと、社会が生産したものを購入可能とするためには、不十分な量の購買力が分配され続けることになる。

これが、要するにダグラスが１５年間、聴衆に対して言い続けていることである。はじめは徐々に、しかし現在では急激にその数を伸ばしている。資本勘定の慣行は、賃金が近代産業社会（の人々）に対して分配される、購買力の主要な手段であるという事実とともに、商品価格に負担をかける。社会で生産可能である商品の割合よりも、購買のためのマネーが決して十分に流通しない状況下で、これら二つのことは共に生じ、彼曰く、必ず現在のような事態を招く。

このようにして、三つの異なる方法で賃金を考えることによる最初の結果−我々は今、その状況のなかの我々自身を見いだす−全体的豊かさの中の、全体的貧困であると言うことができる。二番目の方法で賃金を考えることの結果、人はこの状況を理解し、私たちが誤って向った先を知ることを可能にする、あるいは、するだろう。

しかし、よく知られていることであるが、ダグラスは単に誤りを指摘するだけに留まらない。彼には物事を修正するための明確で、建設的な提案がある。(a)コスト価格よりも安い商品の販売と(b)他の供給源による購買力の分配の両方を準備することによって、欠陥のあるコスト構造の不合理な影響を、妨げることを提案する。依然として彼は、賃金が品物のコスト（とそれに伴う最低価格）の部分を形成していると考えるが、しかし、消費者が全ての最低価格に接するための、十分なマネーを所持しているように取りはからう。そして、彼がこれをどのように行なうのかに注目することは、特に興味深い。

銀行業の歴史は、所有可能な全てのものは減価償却を課せられている（即ち“自己保存”のため）、という法則から逃れることを成就するための、資本の痛ましい努力によって、発展的に具現化したものである。盗んだり、切り刻むことのできる金から紙幣へ（所有者に対する適切な事前注意によって、紙そのものが盗まれたり燃やされたりした場合でも、その額面価値は維持されるだろう）。そして紙幣から銀行信用へと、今日に至るまで、気付かないうちに変化が加えられた。今日、資本の巨大な塊たちは、成長を抑える徴候があり、世界を無気力にする。そのほとんど全ては、実体が無く、また否定的な形態で存在する。現在、世界各国の中央銀行は、世界の資本の大部分の所有者である。しかし、この資本は(小分けに貯えられておらず)、金庫室に大量の金や紙幣の山として、明白に示されてはいない。それは投資される限りにおいて、負債の形態をとり、社会の残りの人々が銀行制度へと支払う義務を負う。それが未投資である限りにおいては、銀行による、通貨と信用を創造する権利の独占という形態をとり、まるで貸付金であるかのように、（通貨と信用が）社会へと分配される。

もし、ダグラスの提案が採用されるならば、金融上の信用を創造する、この独占権は銀行から剥奪され、社会の代表として国家に帰属する。そして、このようにして国家に創造する権限が与えられた信用は、何のために使用されるのであろうか？−商品をコスト以下で販売可能とするためである。このように使われることで、我々が見てきた最低価格を決定する三番目の項目である、資本費用を取り消すことができる。言い換えるならば、彼の提案は、産業時代の初期から蓄積され続けてきた、資本の膨大な塊を解体する効果があるだろう。資本の破壊はこのように、購買のためのマネーの新たな創造を伴って起こると思われる。

現行の我々の制度のもと、金融資本（投資金）の個人、もしくは私的所有者は、社会から、現存する同量の貨幣との交換を要求する権利を有している。ダグラスの提案は、膨大な資本の塊が購買力を創造する事態と置き換わるだろう。これは国の行政機関によって行なわれるのであろう。

ルドルフ・シュタイナーもまた、障害である資本の塊を解体するための対策を立てている。しかし、その作業は国家よりも“経済連合”によって制御されるべきであると彼はいう。購買力の創造に関するシュタイナーの提案“三種類のマネーの導入”（購入金、貸付金、そして贈与金）は、しばしばあり触れた改革として考えられているが、これは誤解である。実際に彼が述べたのは、すでにマネーは使用目的に応じて、これら三つの形態を取っているということである。一般的な購入のためのマネーは実際、投資されるや否や、全く違う種類のマネー（Leigeld- 投資金）に変換される。「但し」、シュタイナーは言う。「マネーについて見て、考える現在の我々の方法が、こうした変容を覆い隠している」。そして、この覆い隠すものは取り省かれなければならない、と付け加えた。

シュタイナーは、なんらかの明確な改革措置の提案よりも、実際に起こっている事態について説明することを心掛けている。これは彼が、他のものの仕事がより直接に、経済生活に関係していると考えていたからである。彼は、経済学講座で再三にわたって提案を行なったあと、これが例えのようなものとして与えられただけであり、直面する状況に応じて、全く違う手段が最もよい結果になるかもしれないと、条件を付け加えた。彼が自身に課した仕事とは、人々が知ることを手助けすることにある。いったん人々が知ったならば、彼ら自身で行動することが可能であろうと、彼は確信していた。

このようにして、彼が取り扱った、この資本投資の不変性の問題についての提案の一つは、マネーが他の商品と同様に“摩耗する”ものとして作られなければならないことである。時を経る過程において、マネーは一日ごとに、その消滅へと近づいて行くように構成されるべきである。しかし、この老朽化と必然的な価値の喪失は、投資金としてのマネーに対してだけ適応されるであろう。購入のためのマネーとしては、どれだけ時を経ようが、すべての額面価値が維持されるだろう。そして、いったん投資したマネーは、購入のためのマネーに再変換されることはないだろう。すべての最も古いマネー、有効期限間近のマネーであっても、贈与金として使用されることは、依然として可能であるとしたいと思う。そして、この最終的な変容の後に、これらの“経済連合”によって更新されることも有り得る。（もしくは、新規マネーの創造に相当しているとする）。“経済連合”とは、シュタイナー社会学の重要な特徴であり、社会三層化論に劣らず、経済学講座においても著しく関係している。

さて、この明確で、実践的な提案の重要性を過小評価する必要はないが、私見では、最も重要な唯一のこと、その本質が含まれていることに気付かないことは、経済学講座の誤解になると思われる。そして、その本質とは、資本の自己保存的性質の影響を妨げる手段を見出すことにある。世界は金融資本を蓄積する方法を見出した。課題は、それを破壊する手段を見いだすことにある−人的、精神的価値を破壊すること無く。人的、精神的価値が生み出し、そして適切に管理したものが促進する番だろう。

ダグラスはエンジニアとして、経験によってこの問題に近づき、注意を社会学に向け変えた。それは、資本の自己保存的性質からなる、実際の金融資産と対決させられた彼の日常生活から起こり、彼自身を解決にむけた動きに位置づけた。シュタイナーは、言うならば、人間の本性全体についての彼の知識の蒼穹から、問題に到達する。彼は、その性質による直接の影響にあまり気を取られていないと述べ、彼の仕事はむしろ、性質そのものを解明することであると考えている。彼は、患者に健全な食餌療法と、正常な人間の生きる道を処方する医師のようである。一方、ダグラスは、盲腸の手術を行なう準備ができた外科医に似ている。

このことはまた、生産のための賃金とコストに対する、この二人の作家の考え方に、とても明瞭に表れている。ダグラスは、世界の原価計算制度にある財政上の欠陥を検出し、説明する。購買力の分配はいかなるときでも、その時点で市場にある消費財価格と一致させなければならないと指摘する。現に今日、購買力の分配は、これらの価格によって決められてはおらず、実際には“賃金”として、いまだ生産過程のなかでコストの一部を形成している。このようにして、購買力と価格の間にギャップが生じる。このギャップを、ダグラスは、私が説明を試みた方法で、埋めようとしている。



一方、シュタイナーは難題を一挙に解決することから始める。労働は商品ではなく、したがって賃金が“コスト”とはなりえない。そのように賃金をコストと見なすことは、純粋に経済的な理由で、災難をもたらすに違いないことを、彼は知っていた；倫理と経済の根が未だ絡み合う、真実の汚れの奥底から引き出される、彼の知識によって。人は支払われなければならない−彼の労働の価格、制作の過程に未だある物のコストの一部としてではなく、彼が既に制作した物の価格として。人は中世の時代の職人たちのように、彼自身で完全な商品を作ることはできないだろう。それでもやはり、週の終わり、もしくは他の期末には、商品の抽象的部分を制作しているか、多くの商品の抽象的部分が制作されており、それは財政的に価値として計測できる。これこそ彼が社会に売るべきものであり、彼の手の労働ではない。手は人間の部分であって売りものではない。ダグラスはいう「市場にある商品の価格の総計と同額を、彼に支払いなさい。価格は過去のコストによってではなく、それ自体によって決定される」。シュタイナーはいう「彼が生産した商品の価格、それ自体を支払いなさい。その価格は現在の価値によって決定される。いったん創造された価値に対して、もはやコストはない。それには、ただ価格があるだけだ」。

しかしながら、明瞭に理解されなければならないのは、これが、問題にせまる二人の作家の異なる思索の筋道を対比させる、単なる試みであることだ。このようにして、ダグラスが購買力を増大させることで“賃金コスト”と価格とのギャップを埋めることを提示しているとはいえ、その違いは、賃上げという形で、賃収入者に対して為されないかもしれない。その一部は、現存する商品の価格安という形で、そして一部は“国民配当”として、一律に配布される形を取るだろう。また彼は、賃金が次第に購買力分配の重要な要素ではなくなるだろう、と考えている。そして、これは重大なことだが、昨年、グラスコー・イブニング・ニュースで発表したスコットランド・スキームのなかで、対策は、賃金割合の減少のために立てられた。

シュタイナーの学説の、倫理的な響きを感じ取ることは容易である。その経済的必然性、もしくは、今日の世界の財政的困窮の根源にある、注目することの無かった慣習を看破するのは、容易なことではない。とにかく私には、ダグラス少佐の考えによって、それが可能となる。私にとって、コストと賃金に対する二つの見方の違いは、その類似点よりも顕著ではない。そしてこの問題と、資本償却の問題に対する彼らの処置のなかにも、この二人の作家の関連は見いだされ、理解される。

私は、この論説の領域が、その関連に限定されたものであることに注意して締めくくらなければならない。これは二つの制度、もしくは経済学を解説しようとしたものではない。そして、この長さの論説に対して、そのような要求は全く不条理であろう。



出典：ANTHROPOSOPHY, A Quarterly Review of Spiritual Science. No. 3.  MICHAELMAS 1933/ Vol. 8.  London: Anthroposophical Publishing Company UK/NY.


【1】 当然、これらの物のうちのどれかが資本であるというのは正しくないということになる。資本とは無形の何かであり、他のものに取って変えることができる。信託基金が良い例だ。基金は、資本と同一視できる単一のユニットとして存在し続けるが、その資産の構成は売買によって絶えず変換され得るだろう。

【2】これは、工場が生産して販売する商品の最少総計価格のことである。需要と供給の法則を念じることが好きなものたちによって、最少総計価格というものがあるということが一般に忘れ去られている。これは、需要と供給の法則にまさる最下限であり、需要と供給の法則はもはや真実ではない。

【3】簡潔さのために利益は省略されている。あるいは利益は生産コストの一部と見なしてもよい。

【4】しかしながら、この対比が先日のロンドン経済会議に於いて頻繁に引き合いに出された、経済的愛国主義と国際協調主義の対比と関係があると考えられるべきではない。例えばルーズベルト大統領の賃金の概念は、偽善的な高利貸したちの標語よりも、世界が真の構成単位であるという経済理論とより一致している。彼らは会議に於いてルーズベルトを、計画を台無しにするといって非難する。しかしこれは、生産に資金供給するための、彼自身の借入計画が、アメリカに恒久的な利益を齎すことができる、という意見を仄めかすものとして捉えられるべきではない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-969140099935243232?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/969140099935243232/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/05/ch.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/969140099935243232'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/969140099935243232'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/05/ch.html' title='C.H.ダグラスの経済学とルドルフ・シュタイナーの経済学の関連について'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-596880081339968851</id><published>2010-03-19T02:27:00.026+09:00</published><updated>2010-05-03T12:03:54.809+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='社会信用論'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ダグラス'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>戦争の諸原因</title><content type='html'>戦争の諸原因
by C.H.ダグラス
http://douglassocialcredit.com/transcript.php

この問題についての真実に辿り着くためには、恐らく、まず始めに「戦争」とはなにかを明確にしておくことが必要です。形式的な定義によると、戦争とは「敵に対して、自らの意志を押し付ける為に取られる諸行為、もしくは、敵が自らの意志を押し付けることを妨げる為の行為」ということになります。この戦争の定義によって「方法」という重大な要件の考察よりも「動機」がなんであるかをいったん認識されたと思います。今日においては、戦争の動機の除去よりも、戦争の方法を修正する献身的な努力に、より多くのエネルギーが傾けられます。このことを認識すれば、我々が決して平和であったことは無く、戦争の形態の違いだけであることに気付く、よりよい立場にたつことができるでしょう。

国家が行なう軍隊の戦争は、国家を廃止すれば撤廃できるだろうという意見は、ナイーブで、もちろん誤った考えであると思います。それは、市議会（UrbanDistrict Council）を廃止すれば、住民税(rate-paying)を払わずに済むと言っているようなものです。問題の範囲を拡大することで問題を処理することはできません。もし私が誤っていなければ、戦争の種はすべての村にあります。

国家の命運を左右するとされている政治家たちの問題を考察するならば、戦争の主原因を一瞥することができます。思うに、今日のほとんどの政治家が主要な課題として同意するのは、雇用の拡大、国民景気の向上、そして、ごく少数の政治家がこれを実現する近道として付け加えなかったのは、海外市場を獲得することです。一度、こうした国際貿易の通説が当然とされると、最終的には戦争に至るしかない道に、我々は足を踏み入れることになります。「獲得」という言葉は、よその国から持ちかえりたいという欲望と、一般的な雇用を行なうことのない繁栄を、不可能であるにもかかわらず、手放すことを望んでいないことを示唆しています。これこそ自らの意志を相手に押し付けることであり、経済戦争です。経済戦争は常に軍事戦争を引き起こしてきました。そして、恐らく常にそうなることでしょう。

所謂、戦争の心理的な諸原因は直接的、または間接的に刺激された人間本性の反応に辿ることができます。そのように言うことは、人間本性に対して十分に刺激することが根拠であるというよりも、苛立つ人々を十分に刺激することが根拠となり、すべての人々が戦いに駆られるように見えます。この苛立が経済戦争を引き起こすのではなく、経済戦争が苛立を引き起こします。増大した経済戦争が、軍隊の戦争であり、方法の違いはあっても、原理的に異なっているものではありません。例えば、軍需産業は雇用者の利益の拡大に応じて、雇用と高所得を被雇用者に供給します。私には、被雇用者と雇用者の過失性の違いを見ることはできません。私は軍需産業に関して直接的、間接的に関わらず興味はありませんが、大きな取引にはかなり精通しています。我々がよく耳にする様に、軍需産業関連の賄賂や汚職が、他の業種よりも、特に酷いものであると信じているわけではありません。

まず第一に、失業をなくすことが政治家の資質の主要な条件であること。次に、海外市場の獲得はこの目的を達成する近道であること。我々がこれら２つに同意の姿勢を示す限り、我々の主たる経済的苛立はいつでも軍事戦争となり、その上、我々の成長の割合がそれに拍車をかけています。なぜなら機械技術の利用による生産は膨張しており、そして未開発の市場は減少しているからです。どのような村にでもある２つの食料雑貨店が、店を拡張させている間に絶えず、不十分な取引の総量を巡って競い合い、減少させ合う。これが戦争の経済的要因の実証であり、事実、これそのものが経済的な手法による戦争です。

村の食料雑貨商が、他の食料雑貨商すべての取引を獲得し、他の食料雑貨商とその従業員が苦しむという事実がある限り、もしくは、ある国家が、他の国家の通商を獲得し、他の国家の住民が失業して苦しむといった事実がある限り、どこかの、もしくはすべての国々で、戦争の邪悪さや恐怖についてレクチャーしたり、軍事的な戦争や武器の売買を廃止するよう、親切心に訴えることが懸命であるとは思いません。窮乏と経済的不安定が、人間性を過度に緊張状態に置くという主張は、不況、倒産件数と自殺率を比較する事で容易に証明されます。戦時には、自殺者の数は減少する。これは人々が戦争を好むからではなく、戦争景気でマネーがある為です。好景気時に自殺者の数が減少するのも、同じ理由によるものです。したがって、戦争が不可避か否かを知るには、最初にまず、完全雇用が実現しなくとも、全住民が快適でいられるだけの十分な富があるかどうか、そして次に、もしそうであるならば、なにが分配の妨げとなっているのかを知らなければなりません。私は、最初の疑問に関して答えるのに、一抹の疑いも抱いてはいません。過去十年間の危機は、供給過剰による危機であって、欠乏による危機ではない事が一般的に認められており、我々は皆、「豊かさの中の貧困」という言いまわしに馴染じみはじめています。しかし、その危機の間も欠乏は甚だしく拡大している。なぜなら失業が甚だしく拡大している為です。そのように、我々の要求する富を産出するために、完全雇用の必要はない、という経験的な証拠が我々にはありますーそれは、賃金の分配ができるという目的の為だけに必要なのでありー完全に異なる問題です。二つ目の疑問に関しては、入手可能な商品が無いのではなく、個々人の手にマネーが乏しいために、入手できるはずの富を購入できないことにあり、それが人々を不幸にしています。現代の我々の通念として、マネーは主に雇用に対して分配されますが、供給過剰が示すように、多くの場合、妥当ではなく、また好ましいものでもありません。そして、戦争の諸原因と豊かさの中の欠乏の諸原因とは、同一のものであると言っても過言ではなく、問題を通貨制度と賃金体系に見いだす事ができ、概して、貧困の解消や戦争の解決は、通貨制度の純然な改正の中に見いだす事ができます。思うに、この改正は単なる、もしくはさらに複合的な形の国民配当の形態を取らねばならず、実在の富が配分される折に、誰一人として、それらを購入するための必要なマネーが不足してはなりません。既に示された様に、実際マネーは銀行制度によって創り出されていて、それは農業や工業からではありません。ブリタニカ百科事典が銀行業について述べている箇所では、このことがこうした言葉で明確に記されています。「銀行は支払い手段を創造することによって、無からマネーを貸す」。

我々の産業システムによる生産物を、全住民によって消費するという、国民配当の提案は、社会主義とは関係がないと明確にすることは困難に見えます。これは一般に理解されているように、社会主義とは関係がありません。社会主義の主な計画は、生産手段を国有化し、政府機関の管理下に置く事にあります。社会主義の要求に様々なメリットがあろうと、我々が考えてきた難題には触れていません。

現在、所得として個々人に供給されている国の負債（通貨）を、国家信用（生産物）が事実上莫大に上回ったことによって、既に個人の手にあるものを没収すること無く（徴税）、国民配当の供給は、配当の支払い割当という形をもって、現在では国の負債（通貨）の負担割当として知られていますが、単純に住民の個々人に手渡されるものです。

国民配当の実際の趣旨は、まず始めに、個々人への所得保障として供給されることです。手に入るならば仕事によって増やすことが望ましいのですが、それでもなお、必需品の購買力は自尊と健康を維持するために供給されます。我々の生産体制に対して、安定して需要を与えることは、景気を安定させるために役立ち、商品に対する一定の国内市場を生産者たちに保証します。我々はこうした制度を、様々な年金体系や雇用保険として持ちつつありますが、これらの重大な欠点は、税体系の中に組み込まれ、有益な効力が削がれている事にあります。現在の我々の通貨制度のもとで国民配当は不可欠ですが、通貨制度の本質的公共性が公平な認識のもとに置かれるならば、さらに当然のこととなります。しかし我々の銀行家たちには、未だ認められていません。

国民配当の供給が、イギリス側からの攻撃的な戦争の主な動機を取り除くのに効果があったとしても、なぜ他国の動機に影響し、我々に対して戦争を仕掛けることを予防するのかと理由を尋ねられるでしょう。私が思うに、この答えは二つの部分からなります。まず最初の部分は、現行の金融制度が存続することで、弱い国家だと思うことは単に感傷的であるに過ぎないと信じており、とりわけ裕福な国家となれば、平和を形成する要因となる。全く逆です。銀行が紙の壁であれば強盗に襲われないだろう、と言っているようなものです。国際的な銀行家のほとんど全員が、軍備縮小の強力な賛同者です。しかし、この国の一般的な従業員の中で、彼らの銀行員だけは拳銃で武装し、銀行の建物の兵力は近代的な要塞に匹敵します。攻撃する動機を伴わない強さは、平和を形成する要因となります。現存する金融制度の根本的な改良は、強く、そして結合した、経済不況のない国家の構築を可能にし、その強さは攻撃的な戦争への、強力な抑止力となります。そして二つ目の部分は、繁栄し、満ち足りたイギリスの壮観は、失業に強制されて、通商で戦うのではなく、快く貿易を行なうことで、真の発展の魅力的な実例を提供し、至る所の手本とされることでしょう。

なぜこうした改革がなされないのか？その疑問に答えるためには、こうした種々の問題に対して、全能なイングランド銀行について、言及しなければなりません。私的な会社であるイングランド銀行の総裁、モンタギュー・ノーマン氏は、イングランド銀行と大蔵省との関係を、ツイードルダムとツイードルディー＊であると説明しています。

これは、銀行家たちが戦争を促進させることを望んでいると、示唆したものではありません。そんなことは断じて無い。彼らはただ、一般社会の中のどこよりも、彼らだけを完全に満足させてくれる金融制度を改革することが、戦争よりもほんの少し、嫌いなだけです。


＊うり二つの2人［2物］　ルイス・キャロル作　「鏡の国のアリス」に登場する、イギリスの子どもたちにとって、なじみの深いキャラクター。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-596880081339968851?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/596880081339968851/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/03/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/596880081339968851'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/596880081339968851'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/03/blog-post.html' title='戦争の諸原因'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4885686155975204020</id><published>2010-02-26T16:15:00.001+09:00</published><updated>2010-02-26T16:17:57.272+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>奴隷</title><content type='html'>“奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、
驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった１本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、
やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、
奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、
肥え太った主人を血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、
現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。"
(リロイ・ジョーンズ　1968年、NYハーレムにて)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4885686155975204020?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4885686155975204020/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_7048.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4885686155975204020'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4885686155975204020'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_7048.html' title='奴隷'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-9200468666185249330</id><published>2010-02-26T16:06:00.002+09:00</published><updated>2010-03-21T07:35:06.532+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>猿とペルソナ</title><content type='html'>部屋に8匹の猿を入れます。部屋の中央にははしごが設置されています。
そのはしごに登ると天井から吊るされたバナナを取れるようになっています。

猿がはしごを登ろうとすると、全ての猿に氷水が降り注ぎます。
しばらくすると、猿達は氷水をかけられたくないので、
はしごを登る猿を攻撃するようになります。
その後、どの猿もはしごを登ろうとしなくなります。

元々いた8匹のうちの一匹を新しい猿に置き換えます。
新しく来た猿は、はしごとバナナを見ます。
何故、他の猿達がバナナを取りにいかないのかと不思議に思いつつも、
新参者の猿はハシゴを登ろうとします。
すると、他の猿達はその新参者の猿をフルボッコにします。
新参者の猿は何故ボコボコにされたのかはわかりませんが、
梯子を登ろうとするのをあきらめます。

元々いた8匹のうち、さらにもう一匹を新しい猿に置き換えます。
新参者の猿はハシゴを登ろうとしてボコボコにされます。
以前ボコボコにされた新参者だった猿も他の皆がやっているため、
今回の猿をボコボコにする行為に加担します。
しかし、何故はしごに登ろうとする猿を攻撃しなくてはならないのかは全くわかっていません。

元々いた8匹の猿を一匹ずつ置き換えます。
元々いた全ての猿は部屋にいなくなっています。
今、部屋に居る猿は氷水を浴びせられたことがありません。
また、はしごに登ろうとする猿もいません。
全ての猿は、はしごに登ろうとする猿を狂ったようにボコボコにします。
しかし、何故そうしているのかは誰も見当がつきません。

そして、価値観、社会性、社会的タブーや企業文化(企業規則、方針)も
このようにして身につけて行くのです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-9200468666185249330?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/9200468666185249330/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_4212.html#comment-form' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/9200468666185249330'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/9200468666185249330'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_4212.html' title='猿とペルソナ'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-200159336107154620</id><published>2010-02-26T16:02:00.002+09:00</published><updated>2010-02-26T16:03:09.920+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='politica'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><title type='text'>戦争のつくりかた</title><content type='html'>「……もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。
そして国民はつねに指導者の言いなりになるように仕向けられます。……反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国をさらなる危険にさらす。このやりかたはどんな国でも有効ですよ。」

ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング　ー　ニュルンベルク裁判より

ドイツの政治家、軍人。国家元帥。ナチ党政権下のドイツにおいて、
ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-200159336107154620?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/200159336107154620/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_8744.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/200159336107154620'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/200159336107154620'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_8744.html' title='戦争のつくりかた'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-1498420742309101282</id><published>2010-02-18T00:31:00.008+09:00</published><updated>2010-03-19T23:26:55.227+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='社会信用論'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ダグラス'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>社会信用論</title><content type='html'>初版への序文
&lt;a href="http://www.mondopolitico.com/library/socialcredit/prefacetofirsted.htm"&gt;http://www.mondopolitico.com/library/socialcredit/prefacetofirsted.htm&lt;/a&gt;

古よりの言葉にこういったものがある。「悪魔は神の逆さまである」（今日の変化と社会的不安に熟慮を生じせしめるであろう）。英国とアメリカにおいて支持を獲得している、正義と民主主義という言葉の外套の下の有害で専制的な慣習、そしてロシアから供給される実例、彼らの拡張の結果として、恐らくはイタリア、スペインからも。これらは、明瞭な思考がこの問題に不可欠であることを、強調するのに役立つ。

続くページでは、概略を指し示す為の努力が払われている。そこに現れるのは、コンクリート問題の取り扱いについてだけではなく、異常な心理状態が複合的に文明を脅かしている、本質的要素だ。


C. H. ダグラス

テンプル
January 1924.&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-1498420742309101282?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/1498420742309101282/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/c.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1498420742309101282'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1498420742309101282'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/c.html' title='社会信用論'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-7951510615809038344</id><published>2010-02-17T23:44:00.011+09:00</published><updated>2010-02-18T22:59:04.891+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='翻訳'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='社会信用論'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>社会信用論</title><content type='html'>改訂版への序文　　　　
&lt;a href="http://www.mondopolitico.com/library/socialcredit/prefacetoreviseded.htm"&gt;http://www.mondopolitico.com/library/socialcredit/prefacetoreviseded.htm&lt;/a&gt;

この本の初版は、急速に広まった適切な社会、産業、そして哲学的な理想に適う、同じ名前を冠した金融理論—社会信用との関連を示すため、１９２４年に出版された。当時のアメリカ合衆国ではかつて無かったほどの物質的な繁栄を生じており、一般的には世界は好況にあるように見せかけられていた。

既存の金融システムが変化せず、押し付けられている限り、この繁栄が一貫して長く続くことがないという見解が、社会信用論をもって予告されることになる。そして、そうした繁栄は、大規模な危機に見舞われることとなった。同様の見解は１９２３年のカナダ下院議会、銀行業・産業特別調査委員会にて、長期に渡る厳しい追及によって明確に提示されていたが、不幸なことに、根拠を十二分に示したに過ぎなかった。世界恐慌の圧迫と恐怖は、文明の消滅という脅威へと発展し、全ての国の、多くの人々に、切迫した貧困と、飽和の中の欠乏という矛盾に対する理由について、社会的、政治的な圧迫と緊張ばかりでなく、速やかな救済策をも伴って、切実に自覚されていった。

世界中の国、特に海外の英国領では、世界的な不安の主要な要因として、金融システムは世論の制裁を受け、少々の疑念もあったが、陪審員の評決が固められたことは、幾分修辞的なウイリアム・ジェニングス・ブライアン氏の有名な選挙演説によって表されている。「マネー・パワーは、平和なときには、国家を食い物にし、災難にあるときには、陰謀を企てる。君主制よりも専制的で、独裁制よりも傲慢で、官僚制よりも利己的である。その方法に疑問を抱くものや、その犯罪性に光を当てるものに対しては、社会の敵であると非難する。それは、国民の道義心の目覚めによってのみ、打ち破ることができるだろう」。

再版にあたっては、全面的に改訂を施し、新たな問題点を付け加え、効果の増大が意図されたものとなっている。しかし主な主張は実質的に変更なく留められるとともに、供給された事象の確証の結果が、主要な根拠である。


C. H. ダグラス

テンプル
May 1933.&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-7951510615809038344?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/7951510615809038344/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_17.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7951510615809038344'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7951510615809038344'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_17.html' title='社会信用論'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-3704059514370669823</id><published>2010-02-12T06:48:00.000+09:00</published><updated>2010-02-12T06:49:20.789+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>無題</title><content type='html'>・・・たとえば、夕方家へ帰って、子供に与える食物すらないとき、私はすぐさまきびすを返して食物を探しに外へ出る。だが、ふと気がつくと、おどろいたことに、外へ出て食物をさがしはじめたとたんに、また世界観的な思索に没頭しているのである。わたしは、自分たちだけの食物について考えていたのではなく、食物一般を、その時点における世界中のあらゆる国のあらゆる状況下にある食物について、それがどのようにつくられ、食膳にならべられるか、食物を買えない人達はどうするか、あらゆる人が食べたい時に食べることができ、そのような愚劣な問題に時間を浪費しなくてすむようにする方法がなにかあるのではなかろうか、といったようなことを考えていたのである。たしかに私は妻や子供をかわいそうだと思ったが、同時に又、飢饉に苦しんでいるベルギー人やトルコ人やアルメニア人はいうにおよばず、ホッテントット人やオーストラリア奥地の住民に対しても憐れみをおぼえた。人類に対して、人間の愚かさと想像力の欠如に対して、憐れみを感じた。食べるものが無いということ自体は、さほど悲しいことではなかった。私をひどく当惑させたのは、おそろしい町の空虚さであった。いずれも似たりよったりの荒涼とした家々、陰鬱な空虚な外観、軒下の美しい敷石、通りのアスファルト、やけに上品ぶった茶褐色の砂岩の石段。しかも、その高価な物質の上を、一人の男が一片のパンを求めて歩き回っていることもあった。それが、その不調和が、私を困惑させたのである。腹がすいたら、小さな鐘を持って外へ飛び出し、こう叫ぶことができたら、どんなにいいものだろう、と私は考えた。「おおい、おれは腹がへってるんだ。誰か靴を磨かせてくれないかね。ゴミを捨ててもらいたい人はいないかね。下水管を掃除してもらいたい人はいないかね」街へ出て、そんなふうにはっきりいえたら、どんなにいいかしれない、と思うことがよくあった。しかし、それができないのだ。そんなふうに叫ぶ勇気もないし、また、もし街を歩いている男に、おれは腹がへっているのだと言ったら、相手はびっくりして逃げ出してしまうだろう。その点が私は理解できなかった。いまなお理解できないでいる。もしだれかが近づいて来て、そう言ったなら、イエスと答えてやればいいのだ。ただそれだけの、きわめて簡単なことなのだ。もしイエスと答えられなかったら、その男の腕をとって、ほかのだれかに、助けてやって欲しいと頼めばいい。一片のパンを手に入れる為に、なぜ軍服を来て、見ず知らずの人々を殺さなければならないのか、私にはわからない。私が考え巡らしていたのは、そういうことであって、だれの口にパンが入るかとか、それがどれだけの値段かというようなことではなかった。なぜ私がものの値段などにかかずらう必要があろう？私は、計算するためではなく、生きるために、こうしているのだ。ところが世の俗物どもは、まさにそのことをー我々が生きる事をー欲しないのである！彼らはわれわれに数字を計算しながら一生を過ごさせたがる。彼らにとっては、その方がわかりがいいからだ。合理的であり、理性的であるからだ。もし私が支配者になったら、物事はあまり秩序正しくは運ばないだろうが、しかし、そのほうが、ずっと楽しいに違いない。われわれは、くだらないことに腹を立てる必要がなくなるだろう。ことによると砕石歩道や流線型の乗用車やラウドスピーカーやその他もろもろの機械器具がなくなり、窓にはガラスさえなくなるかもしれない。われわれは地べたにに寝なければならなくなるかもしれない。フランス料理もイタリア料理も支那料理もなくなるだろう。人々は忍耐心を使い果たして、お互いに殺し合うかもしれないが、刑務所もなければ警官も裁判官もいなくなるだろうから、だれもそれを止めようとしないだろう。法律などという七面倒くさいものもなくなり、したがって内閣や立法府もなくなるだろう。われわれは方々へ旅行するのに数ヶ月あるいは数年かかるかもしれないが、どこの国にも登録されていないのだから、旅券や査証や身分証明書などはいっさい必要がなくなるだろう。また、特定の名前も必要とせず、名前を変えたければ毎週でも変えられるだろう。なぜなら、われわれは身につけているもの以外は、なにも持っていないだろうし、すべてが自由に手に入るとすれば、物を所有しようとはしないだろうから、名前なんか、どうでもさしつかえなくなるのだ・・・

（ヘンリー・ミラー　南回帰線より）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-3704059514370669823?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/3704059514370669823/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_12.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3704059514370669823'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3704059514370669823'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_12.html' title='無題'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-3267803586907081176</id><published>2010-02-11T20:41:00.005+09:00</published><updated>2010-02-12T05:56:02.148+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='religion and/or  science'/><title type='text'>ロウソクを吹き消すがいい。もう夜が明けたのだ</title><content type='html'>蝋燭を持って歩きながら、

私はある子供に、

「この光はどこから来たか？」

と訊ねた。

その子は、即座に蝋燭を吹き消した。

「僕に光が何処へ行ってしまったか教えよ。

そうしたら、それが何処から来たかあなたに教えてあげるよ」 


&lt;object width="480" height="385"&gt;&lt;param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/LEzZTT1v_Ko&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;rel=0"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowFullScreen" value="true"&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src="http://www.youtube.com/v/LEzZTT1v_Ko&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-3267803586907081176?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/3267803586907081176/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3267803586907081176'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3267803586907081176'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post.html' title='ロウソクを吹き消すがいい。もう夜が明けたのだ'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5109977229621141051</id><published>2009-12-01T15:57:00.003+09:00</published><updated>2010-03-21T07:24:02.910+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='社会信用論'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベーシックインカム'/><title type='text'>「なぜベーシックインカムは実際的で効果的な政策なのか」　　　　—　関曠野氏が語るベーシックインカム</title><content type='html'>２９日の日曜日、町田にある勝楽寺というお寺で行なわれた、九条・まちだ主催のベーシックインカムについての講演会へ行って来ました。お寺の地下にある講堂には１００人以上の聴衆が集まり、講師の思想史家である関曠野氏の見事な話の運びで、会は盛況のうちに幕を閉じました。


まず最初に関氏はダグラスの社会信用論を骨子にして、古典経済学との対比を行なうことにより、BIの根拠を明確に浮き彫りにします。古典経済学は現在のマクロ経済学に引き継がれ、生産と消費は自動均衡するという迷信が亡霊のように、現在の我々の目の前にあるこの恐慌を悪化させているのだと言います。また、企業会計の矛盾により、生産物は支払われる総賃金を常に大きく上回ります。オートメーション化の為の設備投資にかかる費用や返済に当てる利子が商品価格に上乗せされるため、支払われる賃金で消費を行なうことが不可能となります。さらにオートメーション化が進んだ現在では、それまでの１／４の労働力で生産を賄うことが可能であるため、生産は消費を大きく上回り、最終的に現在のような総需要不足が生みだされ、結果、恐慌へと向う経済を我々は行なって来ました。関氏は、生産と消費の均衡の為にBIが必要だと語ります。

そしてここから、他のBI推進論者の学者達とは大きく異なるダイナミズムをもった政府通貨発行の必要性に話が移ります。まずは、銀行マネーの問題です。そもそも現在我々が使用している日銀券は負債から創り出されています。そしてさらに各民間銀行は預け入れられたマネーの数倍ものマネーを貸し付けています。これを信用創造（部分準備制度）というのですが、例えば１：９の割合でこの信用創造が行なわれた場合、預かった１万円から銀行は９万円を貸し付けることが可能となります。こうして銀行は勝手にお金（負債）を創り出しています。そしてさらにこのお金（負債）には利子まで付いているのです。当然のように思われて来た利息が実は根拠もなにもないものであるということ、今まで当たり前のように思われて来た銀行業の根本はこうした信用の私物化であるということ、そして我々がある商品を手に入れた時のその商品価格の１／３〜１／２は実は銀行へ支払われる利息であるという事実は今まで信じられて来た常識がいかに薄弱で、無用なものであったかということに驚かされます。しかしまだ、利子が付されていたとしても、預け入れられたお金を右から左へ貸し付けていれば左程問題はないのですが、実際の信用創造によって貸し付けられたお金は、現在流通している通貨が当てられるため、通貨の総量が不足するという事態が引き起こされ、現在のような負債デフレが我々の首を絞めるといった事態に行き着くのです。その銀行の代表が通貨を発行している日本銀行という政府機関でもなんでもない一銀行であり、その銀行がマネーの関所となって自由な交換を阻んでいます。

現在のようにマネーなくしては生存が維持できない社会に於けるマネーとは、社会インフラであり、生活インフラなのだと、関氏は続けます。つまり政府通貨発行とは公益事業であり、無利子で発行すべきものであるといいます。無利子で通貨を発行するとは、強引な経済成長を必要としないということでもあります。生産が拡大し、消費を大きく上回った現在でも更なる経済成長が強迫的に必要とされている理由はすべて、この負債として通貨が発行されていることにより起こっている出来事なのです。無利子の政府通貨が発行されれば、強引に右肩上がりの経済成長を志向する必要はなく、人からも地球からも搾取する必要性は無に帰し、市場の動向を調査したデータに基づき生産と消費の均衡を得る為に通貨供給量を決定していくことで、今まで続けてこざるをえなかった誤った経済活動を停止し、生きるための経済活動を始めることが可能となります。

そしてここからは、デモクラシー、民主主義のあり方の問題となります。即ち通貨を発行する政府を国民がどのように統治していくかという新たな民主的な手段が必要となります。その一つは、現在すでに、ブラジル、アルゼンチン、また日本では埼玉のある自治体などで行なわれている市民参加型予算編成であり、更に民主主義の可能性を突き詰めていけば、政党や代議士を選ぶ選挙ではなく、政策や課題に対して賛否を表明することのできる直接民主主義の可能性を模索し制度設計を整えていくことが、政府通貨を財源とするベーシックインカムを可能とする方策となります。

ここまででベーシックインカム施行の根拠となるものが大きく上げて二つ提示されました。一つには前述した、生産と消費の均衡を得るため。そしてもう一つには、財とは、共同体の文化的遺産の結果であるからだといいます。どういうことかというと、現在生み出される富の９０％は資源、及び共同体が培って来た知識や技術によって成り立っており、現在の労働が生産のために要しているのは残りの１０％程度に過ぎないといいます。そもそも論でいえば、これは至極当然のことであり、本来誰でもアクセスする権利があるはずの資源や過去の知識や技術が今まで不当に占有されてきた事実に気付かされます。そして、関氏のベーシックインカム論は所有の概念をもすらダイナミックに転回させるものであることがよく理解できました。

この後貿易についてや、経済から文化へとその比重が移っていくことの重要性についても触れられました。例えば、ドイツ、中国、韓国などの輸出依存度が４０％以上であるのに比べ、日本の輸出依存度が実はたった１７％の内需依存型経済であることや、海外からは現代日本の文化をポスト工業化のモデル、 Cool Japanとして受け止められていることや、現在の日本のアニメやコミックの海外収益は鉄鋼業の約３倍にも上っていること等々が語られました。


今回、関氏の講演で深まった確信は、政府通貨を財源とするBIを施行することによって、徴税によるBIより多くの問題が解決されることです。結局現在の銀行制度を維持したまま、BIを行なっても、いずれは現在同様の問題に突き当たることが目に見えます。そして私自身が強くBI施行を求める所以は、民主主義と同じルーツを持ち、人間の自由を保障することによって、人間の可能性を更に押し進める（しかも更なる工業化や経済成長ではなく文化的に）選択肢であり、現代に至ってようやく可能となった、基本的人権を具体的な形で保障しようという、エポックメイキングなアイディアであるからです。

自分の考えも交えて、関氏の講演をなぞってみましたが、是非とも多くの方々に彼の話を聞いて頂きたいと思います。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5109977229621141051?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5109977229621141051/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_26.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5109977229621141051'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5109977229621141051'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2010/02/blog-post_26.html' title='「なぜベーシックインカムは実際的で効果的な政策なのか」　　　　—　関曠野氏が語るベーシックインカム'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-6638845942409308865</id><published>2009-05-18T18:26:00.034+09:00</published><updated>2010-02-07T18:13:19.165+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>Creative Commons</title><content type='html'>&lt;a href="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 88px; height: 31px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/Six-suwyhcI/AAAAAAAAAMI/JQ1dBAG2lWM/s400/ccbig.png" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5344786164713948610" /&gt;&lt;/a&gt;
&lt;a href="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 88px; height: 31px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/Six-sjJkgAI/AAAAAAAAAMA/B6RI_4UsVE8/s400/ccmiddle.png" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5344786161596661762" /&gt;&lt;/a&gt;
&lt;a href="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 80px; height: 15px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/Six-sSY9yCI/AAAAAAAAAL4/37MKy_3qfpo/s400/ccsmall.png" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5344786157097830434" /&gt;&lt;/a&gt;


自ら生み出した作品を共有した際に、商業利用を不可とするか、
商業利用も可能とするか等の意思表示がこれによって可能になる。
勿論、彼らが目指しているのはそれだけではない。
&lt;a href="http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/"&gt;http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/&lt;/a&gt;

Creative CommonsはCopyleftと共に著作権や著作管理、しいては
知的財産権の根本的な問題に影響を与えていくだろう。

知的財産権の問題とは著作権だけに留まらない。
苦労して品種改良したイチゴを許可なしに栽培されたく無い気持ちはわかる。
しかし、昔からインドやパキスタンで栽培されていた米を持ち帰った、
アメリカの種子会社が遺伝子を少し組み替え、特許を取得し、
インドからの輸出に印税が課せられることになる事態は、どう考えてもおかしい。
もしかして、作付けにすら印税を課すつもりだというのか？
要するに資本による知的財産権の行使に問題があると言わざるを得ない。

我々は自殺したグヌーテラの開発者ジーン・カン氏に学ばなければならない。
インターネットの普及によって実現したのは、"共有"という思想だ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-6638845942409308865?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/6638845942409308865/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/creative-commons_4834.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6638845942409308865'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6638845942409308865'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/creative-commons_4834.html' title='Creative Commons'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/Six-suwyhcI/AAAAAAAAAMI/JQ1dBAG2lWM/s72-c/ccbig.png' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-723626467356456584</id><published>2009-05-14T15:14:00.015+09:00</published><updated>2010-02-11T20:28:24.183+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='art'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='religion and/or  science'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='politica'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>知の統合</title><content type='html'>政教分離によって国家と宗教を隔てた様に、科学と政治の分離が必要だ。
これは、科学を国家による浸食から守る為である。国家の元に置かれる科学は危険だが、
政治によって制約を受けないということもまた科学による暴走の危険がある。
必要なのは自然科学の哲学への回帰であり、知の統合だ。

１７世紀〜１８世紀の啓蒙期を過ぎると、自然科学は分化を始め、
１９世紀を通して２０世紀には自然科学は独立したかにみえたが、
科学は哲学を失い、学問が全体像を失った結果に過ぎなかった。
現在、芸術の一部と科学は統合を始めている。
それらが宗教と再び統合する事は有り得ないしまた避けなければならない。
何故なら宗教はあらかじめ排他性を含む事によって存立しており、
それらは、科学や芸術の拡大発展を阻む。
自然科学と人文科学の統合によって、政治に提言する立場は保たれるだろう。

政教科分離が必要であり、これは知の統合によって為しうる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-723626467356456584?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/723626467356456584/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post_14.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/723626467356456584'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/723626467356456584'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post_14.html' title='知の統合'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5497017622533202626</id><published>2009-05-13T04:12:00.027+09:00</published><updated>2010-03-21T07:25:52.494+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='religion and/or  science'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='thought'/><title type='text'>般若心経</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://4.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/SgnKqpxqNYI/AAAAAAAAAKQ/7zEt7zGtKGQ/s1600-h/sousei16th-singyo01.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 258px;" src="http://4.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/SgnKqpxqNYI/AAAAAAAAAKQ/7zEt7zGtKGQ/s400/sousei16th-singyo01.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5335018067714520450" /&gt;&lt;/a&gt;




般若心経には玄奘三蔵によって足された部分がある。"度一切苦厄"　"能除一切苦"の二箇所だ。"苦しみや厄災の度に""苦しみを一切除く"といったところか。

さて、この二箇所を省いて眺めていると判ってくる事がある。それはこの経文がオカルティックな呪文パワーによって苦しみを除くのではなく、ここに語られている宇宙の法則を理解すれば恐怖することはないと語っている。この経文は"空"の思想を説いたものだが、さてそれでは"空"とはなにか？



真空のエネルギーというものが天文学者達の観測によってその存在が確認されているが
未だこの"真空のエネルギー"について物理学者達から明確な回答を得る事が出来ない。
ただ既に観測によって判っている事は、このエネルギーは空間を押し広げても
密度が変わらず、その空間ではエネルギーは物質化し、消滅したりといったことを繰り返す。
"色即是空　空即是色"
天文学者は超新星の観測により確実な証拠を発見するが、このエネルギーは普遍的なものだ。

ジョーダン・マックレイ博士の説明　（ＮＡＳＡ真空エネルギー研究プロジェクト）
『真空のエネルギーの存在は確かめられていますが、その他のことは、まったく分かりません。何も無い空間から力を生みだす、不思議なエネルギーなのです。神秘の世界と、科学との境界線にあるような現象です。しかし今後、私たちの実験によって、その実体を解明して行けば、宇宙が、なぜ加速膨張しているかも解明出来ると思います。』


ゴータマ仏陀による発見と"空”の思想、教えは、量子物理学が扱う所のものだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5497017622533202626?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/5497017622533202626/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post_13.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5497017622533202626'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5497017622533202626'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post_13.html' title='般若心経'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/SgnKqpxqNYI/AAAAAAAAAKQ/7zEt7zGtKGQ/s72-c/sousei16th-singyo01.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-6734991707243330359</id><published>2009-05-11T19:42:00.009+09:00</published><updated>2010-02-07T18:13:19.171+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='politica'/><title type='text'>ドイツ基本法</title><content type='html'>第1条 [人間の尊厳、基本権による公権力の拘束]
(1) 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、保護することは、
　　すべての公権力の義務である。

(2) ドイツ国民は、それゆえに、侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権を
　　世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める。

(3) 以下の基本権は、直接に妥当する法として、立法、執行権および司法を拘束する。 



つまりこれ、ドイツの憲法一条。
自然権であるところの人権を守る為に国家と国家の法は存在する。
それが国家と国家権力の正当性の根拠になっているわけです。

現在ドイツの連邦議会では、BI導入審議の準備が進行中。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-6734991707243330359?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/6734991707243330359/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post_183.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6734991707243330359'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6734991707243330359'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post_183.html' title='ドイツ基本法'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-1027222121189379343</id><published>2009-05-11T03:59:00.004+09:00</published><updated>2010-02-07T18:13:19.173+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='art'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='politica'/><title type='text'>POLITICA</title><content type='html'>古代ギリシャに於ける政治 (＝ Politica) とは、
「人を動かすアート」、つまり芸術であったという。 
「人を動かすアート」というのはいただけない。
恐らく王制や貴族制の頃の考えではあるまいか？

「人が動くことによって創られる芸術」＝政治
であるところのものをやがて人間は手に入れる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-1027222121189379343?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/1027222121189379343/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/politica.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1027222121189379343'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1027222121189379343'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/politica.html' title='POLITICA'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4688439661453213218</id><published>2009-05-10T15:52:00.017+09:00</published><updated>2010-02-07T18:13:34.089+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>子供とキリスト</title><content type='html'>家からかなり距離の離れた三宿の幼稚園へ通っていたときのことだ。
友達の多くは太子堂商店街近辺に住んでいて、またその界隈で遊ぶ事が多かった。
友達の家の前にあった車三台分くらいの月極駐車場に、教会から５０代と思われるおばちゃんと
２０代初めくらいの障害をもったお姉さんが来て、近所の子供達と歌を唄ったり
聖書の話をしてくれたのは何曜日だったのだろう？

このお姉さんのことはとてもよく覚えている。
右斜め下に首が固定されていて動かないという障害があり、
不思議な魅力を感じてよく見とれていたと記憶する。
髪型、服装、掛けていた眼鏡のデザインに至るまで、今でもありありと思い出す事ができる。
私が最も楽しみにしていたのは、そこで毎回貰えるカードであった。
名刺くらいの大きさのそのカードには毎回違った聖書の言葉と絵が書いてあり、
そのカードを集めることは私の楽しみの一つとなった。

卒園すると、太子堂に赴く事はなくなり、カードを集める事ができなくなった。
私は小学生になるのだが、日曜日には午後過ぎまで誰も起きてこない家だったので
朝早く起きて、暇を持て余した私は近所の教会へ自ら足を運んだ。
そこへ行けばカードがもらえることを誰かに聞いたのだろう。

他の人たちから奇異な目で見られるのをとても恐れたと記憶する。
なにせ私はピカピカの一年生で、知り合いは１人もいないのだから。
目当てのカードは礼拝堂の入り口に積まれていて、ただ貰って帰る訳にも行かず、
礼拝堂に座っていると賛美歌が始まり、次いで牧師の説教が始まった。
周りの人たちはなにやら分厚い本を開き始めた。
それこそ、大人も子供も、私以外の全員が本を開き始めた。
その本はなにかと近くに座っていた人に問うと、聖書だという。
どうやったら手に入るのかと問うと、その教会で売っていると言う。
私は礼拝の途中で家へ戻り（家から２〜３分の距離だった）
小学校に入ってから貰い始めたお小遣いを手にして教会へ戻った。
確か、260円とかそんなものだったと思う。

そんな顛末で私が生まれてはじめて自分で買った本というのは聖書なんである。
随分変わった子供だな、と人ごとの様に回想する。
結局新約聖書を読み通したのは、それから大分経ってのことになるのだが、
今に至まで神について、思考することは少なくない。
神について思考するといっても大方二つのパターンがあり
一つは、一神教、多神教を含めた所謂宗教の中で語られる人格を持った神についてであり
もう一つは、スピノザの言う所の神、即ちこの宇宙に存在するありとあらゆるすべてと、
そこに働くあらゆる自然法則の総称としての神だ。

ちなみに私はキリスト教徒ではないが、イエスには一目置いている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4688439661453213218?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4688439661453213218/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4688439661453213218'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4688439661453213218'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/05/blog-post.html' title='子供とキリスト'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-1913349244410569813</id><published>2009-04-24T21:23:00.012+09:00</published><updated>2010-02-07T18:13:34.093+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><title type='text'>シキミ</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://2.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/SfGxwJe-CBI/AAAAAAAAAJU/g9YzG8AeTTA/s1600-h/bc5df03230830de18500bf94e28cfcb6.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer; width: 300px; height: 400px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/SfGxwJe-CBI/AAAAAAAAAJU/g9YzG8AeTTA/s400/bc5df03230830de18500bf94e28cfcb6.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5328235274893658130" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;

『試練に耐えた誠実』『援助』『猛毒』&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-1913349244410569813?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/1913349244410569813/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/04/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1913349244410569813'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1913349244410569813'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/04/blog-post.html' title='シキミ'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/SfGxwJe-CBI/AAAAAAAAAJU/g9YzG8AeTTA/s72-c/bc5df03230830de18500bf94e28cfcb6.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-865514588163641060</id><published>2009-04-07T09:19:00.006+09:00</published><updated>2010-02-07T18:13:34.096+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><title type='text'>copyleft</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://2.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/Sdqcnfi0IGI/AAAAAAAAAJM/3D0__Maea4E/s1600-h/150px-Copyleft.svg.png"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 150px; height: 150px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/Sdqcnfi0IGI/AAAAAAAAAJM/3D0__Maea4E/s400/150px-Copyleft.svg.png" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5321738111988015202" /&gt;&lt;/a&gt;


知的生産物をより自由な状態におくためには、単に著作権を放棄するだけでは不十分であり、むしろ作成者が著作権を主張し、知的生産物の使用条件として、「知的生産物の自由な使用を妨げる行為を禁ずる」という権利主張の方法を考案した。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-865514588163641060?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/865514588163641060/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/04/copy-left.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/865514588163641060'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/865514588163641060'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/04/copy-left.html' title='copyleft'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_C63-MzovTqA/Sdqcnfi0IGI/AAAAAAAAAJM/3D0__Maea4E/s72-c/150px-Copyleft.svg.png' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-8471361323950113546</id><published>2009-02-16T15:58:00.007+09:00</published><updated>2010-02-07T18:13:34.098+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='essay'/><title type='text'>ムイさんへ</title><content type='html'>もう遠い遠い昔のような気がする。
僕は君が自殺した、と聞いていた。
だけど今、皆が君は殺されたのだと言っている。
恐らく君が一番言われたくないタイプの人たちが
君は殺されたのだと騒いでいる。

真実はいつか判るかもしれないし、
永遠にわからないかもしれない。

君が捉えて放さなかった真実は
今も闇の中だ。

君がいた頃とさして変わりがないんだ。
いや、さらに状況は悪化しているかもしれない。
真実を闇に葬るのが一部の人間だけではなくなっている。
事実と真実は以前にも増して溝を深めていて、
今、真実はよってたかって葬られることに慣れてしまった。


僕は君に感謝している。
君が殺されたのかもしれないということを
今さら知る事も含めて。
あるいは、それが自殺だったとしても。

僕は君の勇気に感謝している。

引き裂かれ続けながら、真実を捉えて放そうとしなかった
君と出会っていたということに。
でも本当は、こういうことだと思うんだ。

真実を捉え続けるとは、
引き裂かれ続けるということなんだね。ムイさん。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-8471361323950113546?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/8471361323950113546/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/02/blog-post_16.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8471361323950113546'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8471361323950113546'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/02/blog-post_16.html' title='ムイさんへ'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-9062819398396841186</id><published>2009-02-12T06:52:00.011+09:00</published><updated>2009-04-24T21:44:27.114+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><title type='text'>a thousand of time</title><content type='html'>&lt;span style="font-weight: bold;"&gt;もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう。

「そのとおりだ」と。&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-9062819398396841186?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/9062819398396841186/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/02/dfsdgsdsgsdg.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/9062819398396841186'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/9062819398396841186'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/02/dfsdgsdsgsdg.html' title='a thousand of time'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-7833334887900318935</id><published>2007-11-23T12:15:00.004+09:00</published><updated>2010-07-16T07:06:30.107+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='writings'/><title type='text'>虹彩</title><content type='html'>私は画家として、生まれてきた。が、未だ一枚として絵画をなしたことはない。&lt;br /&gt;
此処にはそうした人間を多く見かける。&lt;br /&gt;
哲学者として生まれ１つの概念も成さず、音楽家として生まれてきたものは&lt;br /&gt;
一遍の旋律すら残さず、&lt;br /&gt;
硝子拭き職人として生まれてきたモノが一枚の硝子を磨かず。&lt;br /&gt;
私の場合で言えば子供のころに絵らしきものを描かされた記憶はあるが、&lt;br /&gt;
どれも明瞭な記憶とは言えず&lt;br /&gt;
そのどれもが私の絵ではなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が自らを画家だということに気付かせたのは、この眼が映し出す世界の特殊性である。&lt;br /&gt;
この眼に映し込まれるものはすべて、銀色に輝く。&lt;br /&gt;
景色 は色になり、光になり、景色になり、人物もまた輪郭を越えて輝き出す。&lt;br /&gt;
駅の真ん中に並んでいる街路樹の緑色の数を数えてみたことがあるかね？&lt;br /&gt;
バスの鈍い銀色のフレームが跳ね返す光の数は？&lt;br /&gt;
刻々と変化する日々の、日常の風景が未だかつて一緒だったことがあるだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
街路樹を射す日光を下から覗き込む。&lt;br /&gt;
左の眼に見えるのは印象派の油絵のタッチ、野獣派の色彩を思い起こさせる&lt;br /&gt;
調和、匂い、温度、そして無音である。&lt;br /&gt;
右の眼に集まる光は、対象となる枝葉から放たれるあらゆる種類の色とその波長&lt;br /&gt;
階調らの微細な違いを刺激として脳に響かせる。&lt;br /&gt;
ますます私の脳は眼を覚まし、覚醒していく自分を感じ取ることができる。&lt;br /&gt;
それから目の前にあるすべてのものが銀色に輝き出すのだ。&lt;br /&gt;
彼らは１つとして自らの輝きに遠慮することがない。&lt;br /&gt;
自惚れなく、自分がいかにこの宇宙で輝いているかを知っている。&lt;br /&gt;
そこにはなんの疑問も存在はせず&lt;br /&gt;
ただ存在という思考が漂っている空間に濃密な思想が凝縮されて、在る。&lt;br /&gt;
尤も我々はそれをモノとしか呼ばない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も日常生活に困らないくらいの、日常的な視野を獲得している。&lt;br /&gt;
非常に分析的且つ、標的を確実に射とめる視野だ。&lt;br /&gt;
そしてこれは目的を遂げることにすべてが凝縮されているとても密度の濃い&lt;br /&gt;
エネルギーを投射する。&lt;br /&gt;
このエネルギーに波長を合わせ続けられるほど人間の精神は強くはできていないし&lt;br /&gt;
その前にコントロールを失わせる。&lt;br /&gt;
程良く目的を忘れていき、精神の均衡は保たれていく。&lt;br /&gt;
そして、眠ることが可能となる。&lt;br /&gt;
忘れるような目的は差ほど重要ではなく、また目的を忘れなければ没頭している&lt;br /&gt;
現在から離れずに済む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人と人の間で話しているうちに私はいつの間にかぼんやりと彼や彼女をいつものように観る。&lt;br /&gt;
やがて彼の顔はスピーカー付きの鳩時計から、トランペット を口に装着したペンギン、&lt;br /&gt;
蟻、ネズミ、鳥、猫、あらゆる生物の進化を目の前で繰り返し&lt;br /&gt;
最終的には音に反応して色と形を変える幾何学模様へと変わっていく。&lt;br /&gt;
怒っていようが、涙をながして号泣していようが、椅子から転げ落ちそうなほど&lt;br /&gt;
腹を抱えて笑っていようが&lt;br /&gt;
どぶ川すら銀色に眩しいくらいに輝く。&lt;br /&gt;
また、自然を目の前にするほど興奮するものはない。&lt;br /&gt;
海へ行くたびに私は卒倒しそうなくらいの目眩を感じる。&lt;br /&gt;
あ まりに広く、大きく、光の洪水に飲み込まれ、そのまま意識を失い、&lt;br /&gt;
失禁するのではなかろうかというほどの恍惚に浸される。&lt;br /&gt;
ソラと海の間には境界が存在しない。&lt;br /&gt;
無限にさらされる恐怖と喜びはなににもまして、神的であり、宗教的であり&lt;br /&gt;
また善悪の彼岸では、極を一とする。即ち歓喜。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神を見ようと熱心に祈る宗教者は例外なく自らの内にある神を見いだす。&lt;br /&gt;
そこでしか神に出会えないのだと気づくとき、絶望的なまでの救済への願いは誰の為か。&lt;br /&gt;
神の胎内に向けられたその眼差しは熱いが、より多くの事柄を見極めなければならない。&lt;br /&gt;
目の前に広がる宇宙から神を見いだせないモノが、何故自らの内に見いだせると&lt;br /&gt;
言い得るだろうか。&lt;br /&gt;
自分の目に映るものがすべてが神であるなんてことは信じたくないらしい。&lt;br /&gt;
善き神。&lt;br /&gt;
いや神はこれまでも、またこれからも裁くことはない。&lt;br /&gt;
なにせ、善や悪が生まれる前から存在しているのだから。&lt;br /&gt;
よく光を捕らえてみることが唯一この幻想から離れられる手段だ。&lt;br /&gt;
この世に最初から善として生まれてきたモノも、悪として生み出されたモノも存在しない。&lt;br /&gt;
そして人間とて例外ではないのである。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-7833334887900318935?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7833334887900318935'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7833334887900318935'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2007/11/blog-post_23.html' title='虹彩'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5360022159736364729</id><published>2007-11-21T12:13:00.003+09:00</published><updated>2010-06-10T04:05:30.483+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='writings'/><title type='text'>無題</title><content type='html'>埋もれたように眠る子羊が見る白長須鯨の夢。それは、果てしなく淫靡でまた、流動的である。
ベッドに横たわるその白長須鯨は、いかようにも姿を変え、
また３０００メートルの深海へ私を連れて潜り、
満足すると身を横たえて、眠る。その曲線は美しい。
手を触れずにその曲線をなぞると身悶え、私を連れてまた深海へと潜るのだ。
満足すると、また、淫靡な夢を携えて眠る。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5360022159736364729?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5360022159736364729'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5360022159736364729'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2007/11/blog-post.html' title='無題'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-6591417590684957702</id><published>2007-11-16T12:12:00.001+09:00</published><updated>2010-06-10T04:05:59.397+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='writings'/><title type='text'>結晶</title><content type='html'>結晶のような綿帽子の前に私は立ちすくみ、前面降伏を宣言せざるを得なかった。
特に得るものもなく、特に不自由を感じることもなく、
しかし常に自由を謳歌できる立場にいる訳でもなかった。
できれば、人とは関わりの少ない人生を望んでいたのだが、
それが故に私は多くの人に紛れ、多くの人と関わりを持たなければならなかった。
自由を振る舞う人間には多く出逢ったが、そして私もその一人であったが
自由であった試しはないし、
またその人々も孤独で理解されんが為の振る舞いだと気付くのには
少々時間を費やした。

精神の自由を約束されるために私の体は傷つき、
精神の孤独を確立させんが為に、無理解に晒され、
そしてようやく私は時間と共に歩む決心をした。
というのも、私は常に時間より先を歩いているか、
もしくは大概時間の後を着いて回っている幻想に駆られていたからである。
後をついて回っているという幻想とあせりは私を急き立て、
事実私は遙か時間の先を歩み急いでいたように思う。
しかし、それももう思うまい。
時間と共に歩むということ、それは即ち余計なことが存分に存在しないことを意味する。
生きていることの九割方余計なことに費やし、また実はそれが楽しかったし
それは事実楽しいのだが、もうそれも叶うまい。
恐らく私はより快楽的に生まれついたのかもしれない。
感情の起伏をなぞる一時の快楽よりも、永続的に限りなく
そしてもはや落下する恐怖に怯えることのない、永遠の快楽を選んだのだ。
むしろそう生きるしかもはや選択肢が残されていないほどに私は
今まで散々自分の運命に逆らい続けてきた。
善良で正直でそして正気であることに耐えられなかったのだ。
時には、世界の運命を生きようとしていたし、
また時には人々の空虚な快楽を共に生きている振りを続けていたが
それは往々にして耐え難いものであった。
あまり愛しもしなかったが、あまり愛されもしなかった。
ごく少数の善良な、本当に善良な魂を持ったものだけが唯一救いであったし
また常にごく少数ではあるが、私のそばにいてくれた。
どうして彼らを愛さずにいられようか。

野心のあるもの、愚劣な駆け引きを仕掛けるもの、媚びを売りつけるもの達も同様に愛した。
そしてそれらは皆一様に私に対して失望し、そして去っていった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-6591417590684957702?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6591417590684957702'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/6591417590684957702'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2009/02/blog-post.html' title='結晶'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-8558778680403780798</id><published>2006-10-14T23:27:00.003+09:00</published><updated>2009-02-13T19:26:51.107+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>はなれ</title><content type='html'>４−５年前に農家の宿、というか"はなれ"を借りた。
戦前に物書きが住んでいそうなところだ。

リビングに当たる部屋は結構広く、全面のすべての障子があけられ、
外が見られる様になっている。障子の柄も洒落ている。どこか旅館に来たみたいだ。
キッチンはもちろん土間だ。

部屋を片付け、食事がおわったあと、私は仕事へ行く。懐に小さな香炉をもって。
仕事と言っても、駅前にたむろしているHIP HOPの若者の相手が何故か私の仕事だ。

朝の始発がくるまで、残ったみんなで、帽子のとりあいの追いかけごっこをして、
ほどなく別れた。

簡単な道のりなので、近道してやろうと思い、田んぼの畔に入っていった。
方向だけは判っていたのだが、案の定みちに迷い、遠くから
歩いて来た農家の人に道をきいた。
"おお、むらまつさんとこのはなれなら、ここ真っすぐですぐに着くだよ"
遠くから見えていた闖入者の私への態度は聞き慣れた知り合いの名によって、
コロリと変わった。ま、そんなもんだ。

ありがとう、と礼をいい、家路へ急ぐ。

門構えこそはそこそこ立派なのだが、開きにくい門をよいしょっと開ける。
門の上には、””一庵””というカンテラがかけられている。

玄関を開けると、ついたままの蚊取り線香と、横座りをして着物をきた奥さんが
今起きましたといった火照った顔つきで、一言"まだ、ねむいわー"といった。
"まだ寝てりゃいいのに。。。"とは言ったが、
起きて迎えようとした彼女がかわいらしかったし、いじらしかった。

部屋へ入って畳の上でボーッとしていると、奥さんはgoogleだかmixiだかで
文字を検索したいらしく、一生懸命になにやら打っている。
どうやら、"サー庵"と入れたいらしいが、なかなかその単語に辿り着かない。
声をかけようか、変わりにやろうか、とも思ったが、一生懸命になっているので、
また、畳でごろんとして、"サー庵"とはなんぞや？と思いながら
夢の続きをみることにした。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-8558778680403780798?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/8558778680403780798/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/10/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8558778680403780798'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/8558778680403780798'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/10/blog-post.html' title='はなれ'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-4767078481916053650</id><published>2006-09-06T02:20:00.002+09:00</published><updated>2009-02-13T19:17:47.998+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>本</title><content type='html'>私は両親に連れられ、乳母車に美術書や写真集などの重たい本を乗せ、
川沿いの道を歩いている。
その川沿いは目黒川そっくりなのだが、
周りの建物や道は、ボストンのバックベイを思い起こさせる
赤煉瓦でできていた。

"あんたは何度も引っ越しを繰り返すんだから、こんな重たい本、邪魔でしょ！？"
と、母親は１０〜１１歳位の私を諭して古書店へと向った。

古書店で引き取りましょう、と言ってくれたのは、
とても想いで深い、薄っぺらな絵本一冊だった。

私は逆上して、乳母車に乗せてあった全ての本を
川に投げ捨て、両親に悪態をつき、
ベソを掻きながらその古書店に駆け込んでいった。

階段を駆け上がり、中二階にまでくると下から、
"くすっ"と笑い声が聞こえた。
"うるせぇ、ババぁ！"
と言い放ち、中二階の哲学書のコーナーを抜け、
さらに階段をかけ昇った。

オーナーらしき上品な、
そう、まるでイギリスの上流階級のご婦人のような佇まいのおばさんは
私を追って階段を昇って来た。

"ごめんなさいね、あなたを傷つけるつもりはなかったのよ"
と、両親との一切合切を目にしていただろう、そのご婦人は
私に声をかけてきた。

"最近入ってきた本でとても気に入ったのがあるの。。。"
と、彼女は私を美術書のコーナーへと導いた。
そこはON SUNDAYSを一回り大きくしたような場所で、
壁は白く、ゆったりとした空気が流れていた。

AIKOというアーティストの分厚い写真集を
ペラペラと捲り始めた。
"けっ、J-POPのアーティストじゃんか"
と小馬鹿にしながら覗いたその写真集のグラフィックや
撮影されたインスタレーションはどれもとても素晴らしかった。





彼女は既に老婦人と呼べる年齢になっている。
いつも通りショールを肩にかけ、カウンターに立っている。
私は本棚を整理していた。

４歳くらいの多動症と思われる女の子を連れた男、
父親であろう、その男が店の中で突然大声で理不尽な叱り方を始めた。
それを耳にした私は衝動的にそいつを殴り飛ばした。

一瞬、目が覚めて "あっ、いかんいかん"と思い
眠りに戻り、少し時間を巻き戻して
今度はその父親を説得した。

"あそこで働いている、うちの二人の司書は
（図書館では無いのだが、確かに私は彼女らを司書と言った）
やはりお嬢さんと同じ位の年齢の時にうちで引き取りました。
二人は４歳頃まで一切口をきかず、唖だと思われていたのですが
私が理由を訊くと答えてくれました。

私達は生まれてくるはずじゃなかったのに、生まれて来た。
何故生まれて来たのかその理由を誰も説明してくれなかったから
ずっと黙っていたのだ、と。

あなたのお嬢さんも同じなのだと思います。
うちで引き取らせて頂けませんか？"&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-4767078481916053650?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://wtr000.blogspot.com/feeds/4767078481916053650/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/09/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4767078481916053650'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/4767078481916053650'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/09/blog-post.html' title='本'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-1962396660263335518</id><published>2006-05-16T08:17:00.000+09:00</published><updated>2009-02-12T12:07:35.653+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='words'/><title type='text'>乱</title><content type='html'>狂った今の世で気が狂うなら
気は確かだ&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-1962396660263335518?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1962396660263335518'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1962396660263335518'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/05/blog-post.html' title='乱'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-7834008714836993930</id><published>2006-04-14T16:13:00.000+09:00</published><updated>2009-02-12T12:06:07.630+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>ゴミの山</title><content type='html'>百円ライターを発明した元工業デザイナーのおじさんと二人でゴミの山の前に
立ち尽くしている

彼は使い捨て文明のハシリ、百円ライターを発明したことに深い罪悪感を覚え、
街を捨て、
一日に一本しかバスは来ず、
イノシシ除けに囲まれた山奥へと移り住んだ。

パイプをぽこぽこ燻らせながら、

「う〜ん、まだだな。。。」

と、ゴミの山に向かってつぶやいた&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-7834008714836993930?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7834008714836993930'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7834008714836993930'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/04/blog-post.html' title='ゴミの山'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-3272226935132550881</id><published>2006-02-21T20:10:00.000+09:00</published><updated>2009-02-12T12:04:39.419+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>仙人</title><content type='html'>仙人に会った。

黄茶色の岩に覆われた洞窟のなか、
いわゆる、白髪三千丈で先の巻いた杖を持った
中国の昔話に出てくるような仙人。

地面はびっしりと彼の髪と髭でおおわれている。


彼曰く、
「そなたは太陽と月の力を信ずるものか？」


勿論私は、
「はい。私は太陽と月の力を信じるものです。」
と、答えた。

すると彼は、三巻の巻物を取り出して私に手渡した。

1つ目には“日”
2つ目には“月”
3つ目には“宙”

と、書かれていた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-3272226935132550881?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3272226935132550881'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3272226935132550881'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/02/blog-post.html' title='仙人'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-666967319507747359</id><published>2006-01-19T16:50:00.003+09:00</published><updated>2009-02-13T19:25:35.421+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>uta-goe</title><content type='html'>松屋でご飯を食べていると、Swedish Jazzらしきお洒落なジャズがかかっていた。
隣のおばあさんが食事をしながらコンビニの袋に入った御飯の上に紅ショウガをせっせと乗っけている。

あれ？唄モノに変わったのかな・・・と思ったら、隣のばあさんが唄っている。
それがとても美しい歌声なのだ。
呆けているから、足りないから、美しく聞こえた訳ではなく、本当に美しい歌声で
シャンソンだか、昔のスタンダードらしき歌を唄いながら、今度はお持ち帰りの紅ショウガをせっせと袋に詰めている。

席に戻ってくると、店員に「今日はThursdayだよ。」と言った。
その後、向こう隣に座ってイヤホンをしながら食事をしているおじさんに、
「Tomorrow is Friday, so...」と流暢ではないがまともな英語でなにやら話しかけてから、
元気な声で「ごちそうさまっ」と言って、唄いながら店を出た。

私もほぼ同時に店を出た。
横を通り過ぎる時に聞こえてきた歌声はやはり美しかった。


“ああ、これだ・・・”と思った。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-666967319507747359?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/666967319507747359'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/666967319507747359'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2006/01/uta-goe.html' title='uta-goe'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-7118219450959733066</id><published>2005-12-30T07:57:00.001+09:00</published><updated>2009-02-13T19:19:53.530+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>小泉氏</title><content type='html'>今度は私は新人議員になっている。
しかも自民党員である。

4人の補欠選挙があるため、天井から4人の選挙ポスターを吊す作業をしていた。
とんでもなく高い天井だ。
党首のポスターも貼ったらいいんではないかと思ったが、
肝心の党首が誰だったか思い出せない。

「すみません・・・自民党の党首って誰でしたっけ？」
作業中うろうろしていた小泉さんに訊いた。
訊きながら、あっ・・・首相が自民党の総裁でもあったのだと思い出したのだが、

「うわっはっはは。君はなかなか面白いことを言うね。彼女とはきっと気が合うよ」
すかさず彼は、同じ新人議員の精神科医でもある女性を紹介してくれた。

芯はしっかりした女性だが、私にべたべたしてきては、猫なで声で話しをする。
うざいなぁ・・・
と思いつつ、もう少し話しを聞いてみるが
別段これと言った重要な話もなく、
彼女のべたべたを引き離し、駅の方向が逆だったので、
さようなら、と言って別れた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-7118219450959733066?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7118219450959733066'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/7118219450959733066'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2005/12/blog-post_27.html' title='小泉氏'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-5894855448180863699</id><published>2005-12-24T20:51:00.000+09:00</published><updated>2009-02-12T12:00:11.465+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>Ray Charles</title><content type='html'>Ray Charlesとライブをやることになった。

サイド・マンの1人が演奏できなくなったということで、
Fender Rhodesで彼のサイド・マンを務めることとなった。
しかもライブ中に決まったのだ。ライブ中にRhodesをセッティングして、
演奏をはじめた。

なんの曲を演奏していたのだか、全く記憶に無いのだが、
Rhodesを弾きながら、コーラスも務めていたと思う。

何故、"思う"のかというと、Rayのマイクが壊れたのか、
P.A.の問題だったのかは判らないが、彼の唄が突然曲の途中で途切れてしまい、
変わりにメインのリフを唄わなければ・・・という思いに駆られ、
私は歌い始めたからだ。
という事は、私の目の前にはマイクがセッティングされていたのだろう。。。

始めは不安げに私を横目で見ていた彼だったが（彼は盲目なのだが・・・）
それでも暫く歌い続けると、"おっ、やるじゃん"みたいな表情に変わり、
うれしそうに微笑んで、自分のマイクが復活しても暫く私に唄わせ続けた。

とてもうれしかったことを覚えている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-5894855448180863699?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5894855448180863699'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/5894855448180863699'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2005/12/ray-charles.html' title='Ray Charles'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-3592541243276166190</id><published>2005-12-23T02:11:00.001+09:00</published><updated>2009-02-13T19:21:15.545+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>和田アキ子</title><content type='html'>和田アキ子の隠れ家に行く夢を見た。

そこはかつて私も住んだことのある狭いアパートで、
しかし実際よりももう少し広かった。

彼女は窓辺でボーっと佇んでおり、
「僕も以前ここに住んでいたのです」
と、言うと彼女は快く部屋へ招き入れてくれた。

その時私が手にしていたR&amp;BやSOULのノイズの多いレコードを
一緒に聴いたり、唄ったりしながら、
Blues, R&amp;B, Soul, Jazz等の黒人音楽について我々は熱く語った。

彼女は、これからツアーに出なければならないが、
雨が降らず、空気が乾燥していて憂鬱だと言っていた。

もう少し一緒に遊んでいたかったのだが、お迎えがきたので
私はソソクサとその場を後にした。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-3592541243276166190?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3592541243276166190'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3592541243276166190'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2005/12/blog-post_23.html' title='和田アキ子'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-2543007958104098877</id><published>2005-12-21T23:19:00.003+09:00</published><updated>2009-06-01T20:42:56.094+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='essay'/><title type='text'>真夜中の散歩</title><content type='html'>今年も夜の散歩の季節がやって来た。
ここ２〜３年、私は夜の散歩を怠ってきた。

私は寝静まった住宅街
人も居ないのに点滅する信号灯
時たまに通り過ぎる車の排気ガスの匂いに魅せられてきた。

そして物思いに耽るのだ。

私の過去、そして過去に関わってきた人々。
それらは月の光に照らし出され、赦しを得て
夜の空気に溶け出し
そして宇宙へと吸い上げられていく。
後悔と感じたくなかった様々な出来事も
自分も他人も同様に赦しを得て
夜の空気へ溶け出す。

私の吐く息は白く、
息を吸い込むたびに体の至る所
爪の先から髪の毛の先に至るまで
細胞が喜びに打ち震えるのを感じる。
完全なる自由に。
完全なる孤独に。

未来にも想いを馳せる。
確定された未来
不確定な未来
希望
恐れ。

もはや私を脅かすものは何もない。
死すらさえも道ばたの石ころと何ら違いはなく
またその石ころが
一神教の神、多神教の神々と同等の崇高さを備えていることを確信する。

そして私はカラスが鳴く前にベッドへ潜り込み
イマという時間を貪り食う存在に戻るために
周到な準備をする。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-2543007958104098877?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/2543007958104098877'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/2543007958104098877'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2005/12/blog-post.html' title='真夜中の散歩'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-1519279432376131211</id><published>2005-03-24T10:40:00.001+09:00</published><updated>2009-02-13T19:23:21.356+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>?</title><content type='html'>不思議な夢を見た。

時は、マクドナルドのバイトの初日。しかも私は女の子だった。
かなりいじめが横行していて、二人の女の先輩（ブス）が
「掃除は入りたてのお前が全部やることに決まってんだよ！」と言うので、
「誰がそんなこと決めたんですか？」と問うと、「先輩だよっ」
と言ってトイレに連れていかれた。
スタッフ用のトイレに行くと「バンッ」という音と共に個室の扉が乱暴に開いた。
そして出て来たその専制君主“先輩”はビックリするほどかわいくて、
私を見るなり「先輩…」と一言。彼女は私の学校の後輩だったのだ。
さて、それからは立場逆転。

今度は私が“ルール”となったのだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-1519279432376131211?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1519279432376131211'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/1519279432376131211'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2005/03/blog-post_24.html' title='?'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6320717379550609304.post-3524884012123035801</id><published>2005-03-21T22:55:00.002+09:00</published><updated>2009-02-13T19:24:52.050+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='dream or not'/><title type='text'>ハイヒール</title><content type='html'>祖母の棺桶にはハイヒールが納められていた。
そして亡骸と共に煙となった。

私の祖母は身体障害者、いわゆる“びっこ”として生まれた。
蝦足と言うのだろうか、要するに左足の足首から先が水泳のバタ足をする状態が常態だった。
彼女は私が生まれた時からおばあさんだったので気に止めた事はなかったが、
先月彼女が天に召されたのをきっかけにその人生に想いを馳せてみた。

彼女は大正生まれ。俗に言う『親の因果がなんちゃらちゃ〜』の時代である。
一人で立つ事ができたのはいつ頃だろうか？周囲の子供達同様に走り回ることも、
跳んだり跳ねたりすることも叶わなかったであろう。
そしてもちろん恋だってしただろう。
好きな男性に、旦那となる人に、自分の足を見られることは彼女にとって
どんな意味を持っていたのだろうか？
彼女は生前「一度でいいからハイヒールが履いてみたい」とよく言っていたそうだ。

祖母の棺桶にはハイヒールが納められていた。そして亡骸と共に煙となった。


ハイヒールを履いた彼女が昭和の街並みを闊歩しているその後ろ姿は凛としていて、
とても眩しく、そして誰よりも美しい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6320717379550609304-3524884012123035801?l=wtr000.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3524884012123035801'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6320717379550609304/posts/default/3524884012123035801'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://wtr000.blogspot.com/2005/03/blog-post.html' title='ハイヒール'/><author><name>wTR</name><uri>http://www.blogger.com/profile/12678146765829866835</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry></feed>
