ユートピアとは全ての人への自由なお金

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 2010年10月17日(日)ジャパン・タイムズ マイケル・ホフマン
科学的にも技術的にも、世界は絶え間なくカオスに接している。毎日あらたな何かが齎される。新しい発見、新しい装置、新しい技術、新しい救済。 変化の速度は目眩をおこさせ、私たちは辛うじて、自分たちがどこに居るかを知る。昨日の新案は、今日の標準、そして明日の時代遅れだ。

その他の領域に於ける、人類の試みの知的麻痺は目立って対象を為している。19世紀の資本主義は私たちの経済を支配し、19世紀の民主主義は私たちの政治を 管理する。私たちのほとんどにとっての精神的な滋養物は、幾世代もの昔の宗教に頼っている。修正は加えられてきたものの、激変ではなかった。驚くべき新た な政治、経済、宗教、もしくは哲学の概念について、最後にあなたが聞いたのはいつのことだろう?
私たちがここで考慮する理念は、衝撃的なものだが、実はそれほど新たなものではない。ただその社会的地位が、ゆっくりと育ってきたというだけである。変わり 者や予言者は数世紀に渡ってそれを扱ってきた。最近知られるようになったその名称は、あなたの注意を引くつけるために名付けられたものではなく、むしろほ とんどそうならないようにされてきたように見える。『ベーシックインカム』:誰がここに潜在的な革命を見るのだろう?

それでも、それは表面ぎりぎりのところにある。「このトピックに関する、世界中の幅広い情報に基づくディスカッションを育む」ために1986年に設立された ベー シックインカム・アース・ネットワークが、そのウェブサイトで唱える、ベーシックインカムの定義とは、「すべての個々人に、就労や資力調査をすることな く、無条件に支給される」というものである。このシンプルな短い一文は、聖書にある「お前は顔に汗してパンを得る」から、厳然たる20世紀の怠け者に対す る警告、「ただより高いものはない」に至る、私たちが社会通念としての千年王国として知り、考えてきたすべてに対して無邪気に反抗する。

その社会通念は間違いであったのだろうか?

ベーシックインカムは空想的に聞こえる。確かに。トマス・モアは1516年の『ユートピア』にそれを予示している。 彼の想像上の理想的な島への虚構の航海は、窃盗犯の絞首刑という英国の習慣に対する痛烈な批判であり、そのなかで「すべての人々に何らかの生存の手段を与 えることは、遥かに要領を得たものであるでしょう」と言う。400年後、イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルは(1918年の著書『自由への道:社 会主義、アナキズム、サンディカリスム』のなかで)“普遍的な最低限所得保障”を要求しており、それによって「一定の少ない所得、十分な生活必需品は働い ていようがいまいが、全ての人に保障されるべきである」としている。

フランスの経済学者で哲学者のアンドレ・ゴルツ氏は(1989年の著書『経済的理由の批判』のなかで)、私たち自身の時代の観点から状況を説明する。「“より以上”と “より優れた”との間の関係は断たれている」と彼は主張する。「多くの生産物とサービスに対するわれわれの必要性はすでに十分に満たされており、そして多 くの未だわれわれが不満とする要求は、より多く生産することでは満たされないが、異なる生産、あるいは安定した生産に抑えることで満たされるかも知れな い。これはわれわれの空気、水、空間、静寂、美、時間と人との接触の必要性に関してはとりわけ真実である」。彼が描き出す結論とは「このような状況におい て労働倫理は発展の可能性を止め、労働ベースの社会は危機に投げ込まれる」。モラルとしての労働の概念は、社会の実質的な支柱であることに加え、私たちの ほとんどに深く根ざしており、疑問に感じること自体が困難であるように思える。 革命と革命的なアフォリズムの父であるカール・マルクスでさえ、「必要に応じて受け取る」前に「能力に応じて働く」ことを要求する。

しかし、新たな時代は古い確信を侵食する。空想的な左翼の住処ではない「週間エコノミスト」は9月21日発行のなかで、ベーシックインカムに9ページを捧 げ、 共感を寄せた取り扱いをしている。重要なポイントは、ワーキングプアーの衝撃的な急増である。40年前、貧しい暮らしをしていた7歳の日本の子供は、ハイ テクの予言者としてではなく、無知蒙昧な過去を思い起こさせる人々に、そしてその人々がグローバル化した未来にショックを受けるであろうと話す。これは実際に私たちの現在である。再治療をするどころが、貧困は広がり、病的で供給過剰経済のもとでの仕事は、安定した雇用と生活賃金を保障せず、この問題の解決 とはならない。

仮にすべてを認めても、仮に私たちが矛盾する前提を引き受けて学ぶことができ、生きていくことの単な る事実が、生命を維持するために必要な最小限の物資に対する権利を私たちすべてに与えるとはいえ、そのお金はどこから来るのか?もしも経済がワーキングプ アーを支えられなければ、非雇用の、更には仕事を探して得ようとしない、怠惰すぎるものを支えることはできるのか? 富裕層や超富裕層はいうまでもなく、完全なる普遍性というベーシックインカムの重要な信条のために。

それは可能だと経済学者・原田泰は「週間エコノミスト」のなかで主張する。彼はこのように算定した。「子どもたちと高齢者はすでに手当を受け取っているの で、私たちは人口の16歳から64歳の部分(おおよそ8100万人)についてお話しします。ひと月7万円をベーシックインカムの金額として、1年の総コス トは、8100万人×70000円×12ヶ月=68兆円となります。政府がその計画のもとで支払うのを止めると思われる、様々な控除や公共事業、中小企業、農家などへの補助金をそこから差し引きます。例えば、労働者の被扶養家族、配偶者に対して現在用いられている税額控除という要素も同様に。最終的には、ベーシックインカムにかかるコストはほとんどないといえるでしょう」と原田は主張する。

私たちは21世紀最初の、技術とは無関係な革命のふちにいるのだろうか? 

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