AP通信 2010/02/16
ノースダコタ銀行ー国内唯一の州立銀行は遺物のように見えるかもしれない。しかし現在、他州の当局者たちは、ノースダコタ州が国内の景気後退を乗り切るのに、その銀行が一役買うのではないかと考えている。フロリダ、オレゴン、ワシントン州の州議会議員の知事候補者たちは、州立銀行の創設を提唱している。先月、ヴァーモント州下院委員会で作成された答申書では、「その計画には“重要なメリット”がある」と述べられていた。リベラルな映像作家、マイケル・ムーアは自身のサイトでこの銀行を取り上げている。
「そこには多くの痛みがあり、多くの州が困難に陥っており、彼らは、現在の私たちの経済的成功をノースダコタ銀行と結びつけています」。とノースダコタ銀行の総裁、エリック・ハードメイヤー氏はいう。ハードメイヤー氏は、カリフォルニア、ミシガン、ニューメキシコ、オハイオ、ワシントン州の当局者からの質問を含め、その銀行の働きについての膨大な数の問い合わせを受けてきていると語る。ノースダコタ州の失業率は国内で最も低い4.4%であり、原油生産の急上昇と強固な州予算の黒字がある。しかし「銀行はこの成功に寄与してはいません」。とハードメイヤー氏は言う。
「私たちは恐らく“触媒”であるか、もしかするとその一部ではあるでしょう」。と語り、「これが私たちによるものと、高く評価されることは喜ばしいのですが、率直に言えば、それは事実ではありません」。
ノースダコタ銀行は経済開発機関、“銀行の銀行”としての役割を果たしており、民間銀行の貸付リスクを和らげ、より大きなプロジェクトへの融資の手助けをしている。さらに農家、学生、企業には低金利のローンを提供している。直近の四半期会計報告によると、昨年度末において銀行は、約40億ドルの資産と26.7億ドルのローン債権ポートフォリオを所有している。2009年には5810万ドルの収益を上げており、6年連続の記録更新となる。これまでの10年間で銀行は、収益のなかから約3億ドルをノースダコタ州の州庫に注ぎ込んでいる。ノースダコタ銀行は、州のほとんどの財源の倉庫であるという長所があり、それらはローンや、民間銀行に対する特別な補助(金融市場が低迷を続ける間に必要な現金)として使用することができる。
「私たちは自分たちについて、一種の小さな『連邦準備銀行』と考えています。」とハードメイヤーはいう。ノースダコタ州は概算で、州政府機関が商業機関から受け取るよりも、0.25%低い利子を得ている。また銀行は、州税、又は連邦税を支払わず、預金保険もない。いかなる損失も、ノースダコタ州の納税者が負うこととなる。
ノースダコタ銀行は、無党派連盟(ノースダコタ州への融資と穀物市場の外部コントロールに対する怒りが生み出した農民の政治的な反乱)の政策の要であった。ノースダコタ州西部での亜麻栽培が破綻した後に、社会党のまとめ役となったA.C.タウンレイによって1915年に設立された無党派連盟は、州立の製粉所、穀物倉、食肉加工場、雹被害に対する保険とともに、農家に対する低金利ローンを提供する州立銀行の創設を提唱した。支持者たちは5年以内に、議会のコントロールと知事職を獲得した。その運動の勢いは急速に衰えるが、州が所有する二つの業務、ノースダコタ銀行と、グランド・フォークスにある州立製粉所と穀物倉、は生き残った。
1940年代から1960年代初期まで、銀行の業務の大半は、公的資金の預金機関、地方債の購入者であることだった、と1989年に銀行の歴史書を綴った著者、ロザンヌ・エナーソン・ユンカーは語る。それ以降、その経済開発活動は飛躍的に発展した。
ノースダコタ州北部のフォート・バートホルド・インディアン居住区にあるコミュニティ、ニュータウンのレイクサイド・ステイト・バンク(州免許銀行)の総裁、ゲーリー・ピーターセンは、州免許銀行はしばしば地元の開発計画の出資を行ないたいと望んでいると語る。
「私の経験では、まずノースダコタ銀行と交渉をします。彼らの問いは“どのように私たちは成し遂げられるだろうか”というものです」。とピーターセンは言う。「彼らは、計画を潰すような方法を模索したりはしません」。
グランド・フォークの銀行、アレウス・ファイナンシャルは、リスク分散と追加の貸出資金を自己供給するために、6億ドルのローン債権ポートフォリオの約1億1500万ドルをノースダコタ銀行へと売却した、とアレウスの銀行業務担当主任、カール・ボーリンバーグは言う。
「もしあなたが他の参加銀行を求めて離れていくとすれば、それはかなり無謀な挑戦となるでしょう。それらには、ノースダコタ銀行と同じような、取引に有利となる利益がありません。」と彼は言う。
ペンシルバニア大学、ウォートン・ビジネス・スクールの経営学教授、マウロ・ギーレンは、他の州で類似した銀行が開業される見込みはないという。理由の一部として、「ここの政治文化は、そうしたものと非常に対立している」からだという。幾つかの州と中小企業庁のような連邦政府機関は、すでにノースダコタ銀行と同じ様な経済開発計画を持っている、とギーレン氏はいう。
他州での州立銀行のアイディアは、州の積立金からのシェアを維持したい民間銀行からの反発を呼び起こすだろう、とボーリンバーグは言う。「なぜなら、ノースダコタ銀行は非常に長くここにあるので、そうした積立金があるということが、どういうことであるかを知っている銀行がない」。と彼は言う。
ハードメイヤーも、ノースダコタ州のモデルを他で始めことはできるのだろうかと、常に懐疑的だったという。しかし、現在はそれほど確信していない。
「この国で起こっていることを見るとき、かつて起こったと考えられる飛躍まであと一歩なのではないか」。と彼は言う。
ノースダコタ銀行:http://www.banknd.nd.gov/
記事に添えられていたマイケル・ムーアの作品『キャピタリズム:ア・ラブ・ストーリー』のDVD特典映像の一部より
『州立銀行の反対者たちは、設立を妨げる為に可能なすべてのことを行ないました。彼らは二つの異議申し立てを連邦最高裁判所に持ち込み、連邦裁判所は、州の市民が望むのであれば、可能としなければならないという判決をだしました。そして1920年代に干魃がおこり、彼らの夢は潰え、農家の人々は元金だけではなく、ローンの利子も払えなくなっていました。そして人々は、銀行にありのままの声明書を送りました。「私たちにはなにもありません。私たちには収穫物がなく、そして昨年も収穫がありませんでした」と。ほとんどを銀行ローンに支払わなければならず、彼らは自分たちが食べるものすらありませんでした。銀行は集金を試みましたが、ノースダコタ銀行の代表は「この人々からお金は受け取れない。彼らには何もないのだから」と語りました。それがとても明確になったのは、1930年代の初頭、ビル・ランガーが知事のときです。ビル・ランガーは支払い猶予指令を出しました。そして銀行はすべての差し押さえを停止し、彼らは農場に残ることができました。経済が上向いた1940年代始めに、銀行はこれらの農場を、銀行が引き取った価格で元の農場主に売り戻しました。
ノースダコタ銀行は、この私たちが被っている世界的な経済危機のなかで、驚く程上手くやっています。かつてないほど力強く。事実、この銀行は、他の銀行が被っている様な金融危機の影響に苦しんではいません。私が思うに、これは銀行の真の強さと、実際の銀行のミッションに対するテストとなっています。彼らはリスクの多いデリバティブには投資しておらず、サブプライムも購入していません。これは、彼らが行なう業務に適した方法ではなかったのです。ここ9年の間に銀行は、5億ドルを州の一般財源に返納しています。これの意味するところは、州の人々は追加徴税なしに、5億ドル分の計画を展開させることができるのです。私にとって、社会主義か資本主義かは問題ではありません。それが人々に対して最上の働きをなし、最少のコストで最大のサービスを提供するということが重要なのです』。
http://www.huffingtonpost.com/2010/02/16/bank-of-north-dakotasocia_n_463522.html
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