ノースダコタ銀行について:政治の作用 -対反乱作戦の始まり

政治の作用 -対反乱作戦の始まり

1920年代初期、同盟の計画の成功を確実にする債券の売り上げを覆すため、IVAとその同盟者たちは法廷、議会、世論、そしてプレスにおける組織的な攻撃、組織的な運動に乗り出した。

その上、1920年は超党派同盟にとって悲惨な年であった。1919年の議会における党首脳間の摩擦は絶頂に達し、州検事総長のビル・ランガー、州務長官のトム・ホール、そして州会計監査官のカール・コシツキーは公的に同盟を離脱した。ホールは一連の銀行債権に署名することを拒み、それらは違法に発行されたものだと申し立てた。(申し立ては州検事総長に支持された)。州検事総長の離脱は同盟の反対者が産業委員会に席を持つというだけにとどまらず、ランガーとコシツキーは同盟指導部に対する公然とした非難を全力を挙げて開始し、同盟幹部を攻撃する月刊誌を出版し、彼らはボリシェヴィキであると主張した。依然として強固な社会主義者のA・C・タウンリーは世論から不評を被り始め、彼のリーダーシップに対する衆望は徐々に浸食されていき、彼との結びつきによって、他の同盟の職員たちも同様の立場に立たされた。

銀行の経営もまた非難に晒されていた。ノースダコタ銀行はファーゴ*にあるスカンジナビア銀行のスキャンダルに巻き込まれ始めていた。スカンジナビア銀行は会員費の処理と同盟の活動の資金を用意するために同盟によって確保されていた。会員からの実際より後の日付が記入された小切手によって大規模に資金調達されていた。州検事総長の命令による会計検査によって銀行が破産の危機に瀕していることが発見された。IVAの反対者たちは、意図的に政治的便宜を計るため、非常に不安定な銀行に公的資金が再預金されていたとしてノースダコタ銀行の経営を告発した。取り付け騒ぎが閉店にまで達した後に、会計監査官たちはノースダコタ銀行の不正経理のいかなる証拠も見つけることはできなかった。しかし醜聞は銀行経営に対する人々の信頼を損なっていった。

さらになお、債券の売り上げに対しても人々の信頼は損なわれており、鉄道会社とツイン・シティの銀行業および実業団体が用意した弁護士は産業委員会、銀行、州立製粉所、穀物倉庫と農産物保険を創設した法律は違憲であると主張し、ノースダコタ州の納税者42人に代わって提訴した。裁判官は提訴を棄却したが、控訴ははるばる合衆国最高裁判所にまで持ち越され、最高裁は法律の正当性を支持した。


*ノースダコタ州の都市。Cass Countryの郡庁所在地

http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/the_counter_insurgency.html

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