ノースダコタ銀行について:BND草創期 -農民の行列

BND草創期 -農民の行列

銀行が開店したその日、200以上もの農場ローンの申込書が理事の机の上に置かれた。1919年には、州内の多くの農家はツイン・シティ*のセント・ポール銀行および保険会社と結んだ不動産抵当貸付の支払い遅延分を高利率で支払っており、農家経済は苦しみ始めていた。ノースダコタ銀行の使命は、農村への融資を原価で供給することにあったが、しかしそのマネーはどこからかやってこなければならなかった。

営業開始から最初の5ヶ月で銀行は、1000万ドル分の一連の銀行債券の売り上げによって資金調達しなければならない、800万ドル分のローンの申込書を受領していた。しかし債券は売れていなかった。経済はスパイラル状に下降していき、それは国内最悪の農業不況で終わった。連邦準備銀行は融資を引き締めはじめ、投資家たちはリスクの高い投資を見つけることが困難になった。ノースダコタ州の人々が同盟の訴えに応えて一連の銀行債券を購入したにも関わらず、州外の投資家たちはリスクのある銀行の投機に用心深かった。衆望は、ウォール街の投資家たちに対する債券の販売促進を必要としていた。

*ミネアポリスとセントポール。ミネソタ州のニックネーム

http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/farmers_line_up.html

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