BND草創期 -最初の一斉射撃
1919 年の議会が延期されて間もなく、IVAは同盟の産業計画に最初の一撃を与える策を練り始めた。最初の一手は、下院法18を含めた7つの産業法案に対する住民投票の嘆願書を広めることであった。彼らは知事に特別選挙を7月8日(銀行の開店予定日の2〜3日前)に予定するよう求めた。しかし知事はIVAの望む日程よりも一ヶ月早い6月26日に選挙を設定した。
同盟は素早く行動に出た。A・ C・タウンリーと彼の組織は州全域に跨がって投票者に「産業民主主義に投票し、7度“可”に投票せよ」と力説してまわった。同盟の奔走が制し、7法案すべてが人々による実質上の信任投票を受けた。しかしそれは東部の投資家たちに不信を投げかけた。
同盟はノースダコタの銀行界に、人々の銀行を支えるよう呼びかけたが、彼らは結集していなかった。地方の銀行家は、中央集権的な州立銀行が彼らを廃業させるのではないかと恐れていた。こうした恐怖感を和らげるために、産業委員会は諮問委員会を立ち上げ、銀行に対する抵抗感が和らげられるだろうことを見越して、ノースダコタ銀行の規約を定めた。
地方銀行との不公平競争に対する恐怖感を和らげることを期待して、委員会は譲歩することに同意した。銀行が農場不動産ローン以外の商用貸し付けに携わらないこと、小売り銀行業務に携わらないこと、支店を出さないこと、ノースダコタ銀行が現在方々の銀行に預金されている州の予算を引き出すことがないこと、未来の税収と市の予算を含めた州予算はノースダコタ銀行への預金を要し、市場レートよりも低いレートで地方銀行へ再預金されることを承認した。これらの譲歩の最終的な結果ノースダコタ銀行は、同盟が約束していたどの貸付け計画にも出資するお金がなかった。
http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/launching_the_first_volley.html
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