石巻3

次の日は再度、もっとも被害のひどいエリアにもどってきた。昨晩の会議の結果、そしてパートナーを組んでいた"組長"と話し合い、被災者の方々自身によるコミュニティの形成や組織化を後押ししていくことを目指すことにした。しかしそれは言うほど簡単なことではない。彼らは被災者だが日常へ戻りたいという意志を当然持っており、その日常とは地震以前の日常だ。また取り仕切り役を間違えてしまえば、今後の彼らの近隣関係に暗い影を落とすことにもなりかねない。支援物資を手渡すとき、多くの人はなにかお返ししたいという気持ちを表してくれた。缶コーヒーを持ってくる人もいたし、ダンボールをたたむのを手伝ってくれたり、お幾らですか?と尋ねる人もいた。避難所で余ったおにぎりやパンを貰うこともあった。実際おにぎりやパンは余り始めていた。賞味期限切れのものが配られることも少なくなく、また2週間以上もの間、同じおにぎりとパンを食べ続けている。よくない。避難所には細菌性の腸炎やインフルエンザもはやり始めている。彼らには生鮮食品と調理する道具が必要だ。

海沿いから少しはいった川口町2丁目で物資の配布をおこなったとき、われわれを手伝ってくれた年配の男性はとても手馴れていた。一通り作業が終わり、ダンボールを片付けていたときに話を聞くと、災害ボランティアの経験があるとのことだった。どおりで私たちよりも手馴れているわけだ。またこうした支援物資の分配についての問題点もよく心得ているようだった。私たちは彼の庭を炊き出しや物資の集積所として開放してもらえないかと打診し、快諾をえた。ここなら大丈夫だろう。

もう少し込み入った場所、車や倒壊した家々が道を塞ぎ、中まで車で入りづらいところにきた。年配の方々と若い人たちが泥だしを懸命におこなっている。支援物資の配布を告げてもわれわれが少し邪魔そうだった。ほどなく取り仕切っているだろう年配の男性が車で現れたがわれわれの車が邪魔だと悪態をついた。邪魔するなら物資なんか持ってくるな、とかなんとか。詳しく話を聞こうと、足りない物資はないか、困っていることはないかといろいろと尋ねると、この男性が近くの農家のかたで、この地区で一人で暮らすご老人を20名ばかり自宅に避難させていることがわかった。生鮮食品は余るくらいあると語った。一人で家の片づけがままならないこうしたご老人たちの家の泥だしとスクラップと化した日用品の片づけを行っている最中だったのだ。人には色々と理由がある。私たちはお互いにがんばりましょうと声をかけあい、笑顔で別れた。ここでは活動的な年配のかたに多く出会った。ここで出会う人々からは、概ね自分は大丈夫だから必要な人のところにいってあげてくれと言われることが本当に多かった。

県営住宅で出会った岸本さんもそうしたうちの一人だ。7階だての住宅には200人以上のかたが生活を営んでおり、単身のご老人も少なくない。エレベーターはもちろん動かず、水道、ガス、電気は止まったままだ。入り口にいた人に、ここを取り仕切っている方と話がしたいというと、5階の岸本さんがそうだと教えてくれた。岸本さんの家へ訪れると、彼はおらず、奥さんがでてきて、驚いたことに彼に関する愚痴を聞かされた。『地震以来、朝起きたときから寝るまでずっとマンションのことを考えていて、自分の家のことはなんにもやってくれなくって。。』と話す彼女はそれほど困った様子もみせず、暖かい気持ちになった。地震と津波直後にあらゆるインフラが止まったとき、岸本さんは屋上の貯水タンクにいき、自分が責任をとるからとマンションに住む若い人に鍵を壊して貯水タンクの蓋をあけてもらい住人に水を配っていたという話をしてくれた。やはり彼女は嬉しそうだ。岸本さんを見つけて、なにが必要かを訪ねると給水車がほしいといった。避難所である小学校に来る給水車まで水を取りにいくのは老人には酷だからだ。再三、市役所のほうにも連絡したらしいが、市役所の機能もままならない状態だ。なんせ職員の半数は津波に飲まれてしまったのだから。当面は私たちのほうでミネラルウォーターを手配することにした。そしてもうひとつのニーズは、一階の泥だし、ごみだしと消毒だ。確かにあらゆるものが水と泥にまみれ、満潮時には水に浸かる地盤沈下の状況にある現在、あらゆる生態系が泥のなかで育っており、これはいいはずがない。ボランティアの別部隊に泥だし部隊がいる。早速今夜の合同会議でマッドバスターズを組織してもらうことにする。最後の日、昨日訪れた県営住宅の入り口で炊き出しを準備した。約100人は出勤し、会社のほうの片づけを手伝うので住宅に残る約100人分の炊き出しだ。ここに来てからコミュニケーション以外はじめての、なにか物を作る、唯一創造的な作業だった。マッドバスターズは車が足りず、組織できない。急慮、また別組織が準備していたEM菌による雑菌の分解、消毒の作業を手配した。年配者にとって消毒とは石灰を撒くことを意味するので、喜んでくれるかどうかはわからないが、明らかにこちらのほうが有益であるはずだ。ここ数日パートナーを組んでいた広島からきた”組長”にここの建物の引継ぎを終え、炊き出しと清掃が始まる前に石巻をあとにした。

来週には石巻、女川にむけて再度出発するつもりだ。そして一番の懸念のひとつである福島周辺へ向かい、避難を進める方法を模索する。それまで安定状態にあるとは思えず、向かうことすらかなわない状況に陥る可能性は依然としてある。、放射能が目に見えず、匂いもなく、痛みもないことからくる楽観的な状況はまずいと肌身に感じた。帰りしなに、原発から60キロ離れた二本松市にヨード剤を手渡しによったが、空間線量はここでも高い数値を示す。ファミレスでは高校生くらいの女の子たちが楽しそうに、また普段どおりキャッキャと騒いでいる。カウンタがなければ私たちはそれがあることすら知ることができない。通常値を計測していないので正確な数値ではないが、東北道のインターチェンジの土壌をガイガーカウンタで計測しながら帰ってきたところ、80キロ~100キロ圏の土壌からもアルファ線が2~3倍検出される。この状況でなにができるか。まずは状況の把握から始めることになるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿