結晶

結晶のような綿帽子の前に私は立ちすくみ、前面降伏を宣言せざるを得なかった。 特に得るものもなく、特に不自由を感じることもなく、しかし常に自由を謳歌できる立場にいる訳でもなかった。できれば、人とは関わりの少ない人生を望んでいたのだが、それが故に私は多くの人に紛れ、多くの人と関わりを持たなければならなかった。自由を振る舞う人間には多く出逢ったが、そして私もその一人であったが 自由であった試しはないし、 またその人々も孤独で理解されんが為の振る舞いだと気付くのには 少々時間を費やした。 精神の自由を約束されるために私の体は傷つき、精神の孤独を確立させんが為に、無理解に晒され、そしてようやく私は時間と共に歩む決心をした。 というのも、大概、私は時間より先を歩いているか、もしくは時間の後を付いて回っている幻想に駆られていたからである。 後をついて回っているという幻想とあせりは私を急き立て、 事実私は遙か時間の先を歩み急いでいたように思う。しかし、それももう思うまい。時間と共に歩むということ、それは即ち余計なことが存分に存在しないことを意味する。生きていることの九割方余計なことに費やし、また実はそれが楽しかったし、それは事実楽しいのだが、もうそれも叶うまい。 恐らく私はより快楽的に生まれついたのかもしれない。感情の起伏をなぞる一時の快楽よりも、永続的に限りなく、そしてもはや落下する恐怖に怯えることのない、永遠の快楽を選んだのだ。むしろそう生きるしかもはや選択肢が残されていないほどに、私は 今まで散々自分の運命に逆らい続けてきた。善良で正直でそして正気であることに耐えられなかったのだ。時には、世界の運命を生きようとしていたし、また時には人々の空虚な快楽を共に生きていたが それは往々にして耐え難いものであった。あまり愛しもしなかったが、あまり愛されもしなかった。ごく少数の善良な、本当に善良な魂を持ったものだけが唯一救いであったし、また常にごく少数ではあるが、私のそばにいてくれた。どうして彼らを愛さずにいられようか。野心のあるもの、愚劣な駆け引きを仕掛けるもの、媚びを売りつけるもの達も同様に愛した。そしてそれらは皆一様に私に対して失望し、そして去っていった。