「なぜベーシックインカムは実際的で効果的な政策なのか」 — 関曠野氏が語るベーシックインカム
29日の日曜日、町田にある勝楽寺というお寺で行なわれた、九条・まちだ主催のベーシックインカムについての講演会へ行って来ました。お寺の地下にある講堂には100人以上の聴衆が集まり、講師の思想史家である関曠野氏の見事な話の運びで、会は盛況のうちに幕を閉じました。
まず最初に関氏はダグラスの社会信用論を骨子にして、古典経済学との対比を行なうことにより、BIの根拠を明確に浮き彫りにします。古典経済学は現在のマクロ経済学に引き継がれ、生産と消費は自動均衡するという迷信が亡霊のように、現在の我々の目の前にあるこの恐慌を悪化させているのだと言います。また、企業会計の矛盾により、生産物は支払われる総賃金を常に大きく上回ります。オートメーション化の為の設備投資にかかる費用や返済に当てる利子が商品価格に上乗せされるため、支払われる賃金で消費を行なうことが不可能となります。さらにオートメーション化が進んだ現在では、それまでの1/4の労働力で生産を賄うことが可能であるため、生産は消費を大きく上回り、最終的に現在のような総需要不足が生みだされ、結果、恐慌へと向う経済を我々は行なって来ました。関氏は、生産と消費の均衡の為にBIが必要だと語ります。
そしてここから、他のBI推進論者の学者達とは大きく異なるダイナミズムをもった政府通貨発行の必要性に話が移ります。まずは、銀行マネーの問題です。そもそも現在我々が使用している日銀券は負債から創り出されています。そしてさらに各民間銀行は預け入れられたマネーの数倍ものマネーを貸し付けています。これを信用創造(部分準備制度)というのですが、例えば1:9の割合でこの信用創造が行なわれた場合、預かった1万円から銀行は9万円を貸し付けることが可能となります。こうして銀行は勝手にお金(負債)を創り出しています。そしてさらにこのお金(負債)には利子まで付いているのです。当然のように思われて来た利息が実は根拠もなにもないものであるということ、今まで当たり前のように思われて来た銀行業の根本はこうした信用の私物化であるということ、そして我々がある商品を手に入れた時のその商品価格の1/3〜1/2は実は銀行へ支払われる利息であるという事実は今まで信じられて来た常識がいかに薄弱で、無用なものであったかということに驚かされます。しかしまだ、利子が付されていたとしても、預け入れられたお金を右から左へ貸し付けていれば左程問題はないのですが、実際の信用創造によって貸し付けられたお金は、現在流通している通貨が当てられるため、通貨の総量が不足するという事態が引き起こされ、現在のような負債デフレが我々の首を絞めるといった事態に行き着くのです。その銀行の代表が通貨を発行している日本銀行という政府機関でもなんでもない一銀行であり、その銀行がマネーの関所となって自由な交換を阻んでいます。
現在のようにマネーなくしては生存が維持できない社会に於けるマネーとは、社会インフラであり、生活インフラなのだと、関氏は続けます。つまり政府通貨発行とは公益事業であり、無利子で発行すべきものであるといいます。無利子で通貨を発行するとは、強引な経済成長を必要としないということでもあります。生産が拡大し、消費を大きく上回った現在でも更なる経済成長が強迫的に必要とされている理由はすべて、この負債として通貨が発行されていることにより起こっている出来事なのです。無利子の政府通貨が発行されれば、強引に右肩上がりの経済成長を志向する必要はなく、人からも地球からも搾取する必要性は無に帰し、市場の動向を調査したデータに基づき生産と消費の均衡を得る為に通貨供給量を決定していくことで、今まで続けてこざるをえなかった誤った経済活動を停止し、生きるための経済活動を始めることが可能となります。
そしてここからは、デモクラシー、民主主義のあり方の問題となります。即ち通貨を発行する政府を国民がどのように統治していくかという新たな民主的な手段が必要となります。その一つは、現在すでに、ブラジル、アルゼンチン、また日本では埼玉のある自治体などで行なわれている市民参加型予算編成であり、更に民主主義の可能性を突き詰めていけば、政党や代議士を選ぶ選挙ではなく、政策や課題に対して賛否を表明することのできる直接民主主義の可能性を模索し制度設計を整えていくことが、政府通貨を財源とするベーシックインカムを可能とする方策となります。
ここまででベーシックインカム施行の根拠となるものが大きく上げて二つ提示されました。一つには前述した、生産と消費の均衡を得るため。そしてもう一つには、財とは、共同体の文化的遺産の結果であるからだといいます。どういうことかというと、現在生み出される富の90%は資源、及び共同体が培って来た知識や技術によって成り立っており、現在の労働が生産のために要しているのは残りの10%程度に過ぎないといいます。そもそも論でいえば、これは至極当然のことであり、本来誰でもアクセスする権利があるはずの資源や過去の知識や技術が今まで不当に占有されてきた事実に気付かされます。そして、関氏のベーシックインカム論は所有の概念をもすらダイナミックに転回させるものであることがよく理解できました。
この後貿易についてや、経済から文化へとその比重が移っていくことの重要性についても触れられました。例えば、ドイツ、中国、韓国などの輸出依存度が40%以上であるのに比べ、日本の輸出依存度が実はたった17%の内需依存型経済であることや、海外からは現代日本の文化をポスト工業化のモデル、 Cool Japanとして受け止められていることや、現在の日本のアニメやコミックの海外収益は鉄鋼業の約3倍にも上っていること等々が語られました。
今回、関氏の講演で深まった確信は、政府通貨を財源とするBIを施行することによって、徴税によるBIより多くの問題が解決されることです。結局現在の銀行制度を維持したまま、BIを行なっても、いずれは現在同様の問題に突き当たることが目に見えます。そして私自身が強くBI施行を求める所以は、民主主義と同じルーツを持ち、人間の自由を保障することによって、人間の可能性を更に押し進める(しかも更なる工業化や経済成長ではなく文化的に)選択肢であり、現代に至ってようやく可能となった、基本的人権を具体的な形で保障しようという、エポックメイキングなアイディアであるからです。
自分の考えも交えて、関氏の講演をなぞってみましたが、是非とも多くの方々に彼の話を聞いて頂きたいと思います。
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