ノースダコタ銀行について:超党派連盟(Non Partisan League) -NPLの誕生

超党派同盟(Non Partisan League) -NPLの誕生

政党に愛想がつき、途方に暮れたタウンリーはビスマークに滞在し、1915年の議会での州立穀物倉庫設立の発議に関する口論と敗北を観察していた。議員とノースダコタ組合の公正会議に付き従う農民のあいだで行われる醜く荒れた論争を綿密に観察し、タウンリーは農民を代表する新たな組織の立ち上げを決意する。新たな組織は州所有に関する項目を社会党の政治要綱から取り入れ、農民に深く根ざした大企業に対する不信を利用した。社会党を開拓したとき同様の募集テクニックを用いて、タウンリーはノースダコタの政治を一変させる組織ー超党派同盟を設立した。タウンリーは生まれつきのアジテーター(扇動家)であった。州外の経済的利害関係者に対する過去の不平と憎悪を基に、タウンリーは扇動的な演説家であった。州の隅々にわたる演説と一対一の会談においてタウンリーは粗野で無骨な演説者だったかもしれない。しかし彼は農民の言葉を語った。超党派同盟は大草原の野火のように、州内各地で吹き荒れた。

最初の6ヶ月で、連盟は2万6千人のメンバーを集めた。1年間で4万人となった。昔からの社会党のオルガナイザーは群れをなして連盟に加入するために脱退した。1918年にはノースダコタで社会党は本質的に廃れ、超党派同盟が大企業に反対するノースダコタ農民の新たなチャンピオンとなった。

農民たちが愛党心を捨てたがらないことを社会党のオルガナイザーとしての日々から彼は学んでいた。タウンリーの計画は共和党もしくは民主党の公認候補者として出馬する、連盟の綱領に賛成する候補者を予備選挙で推薦することであった。マッケンジーの組織のように、タウンリーは共和党に対して確立されたノースダコタの人々の忠誠心を利用するつもりであった。

http://www.banknd.nd.gov/about_BND/prairie_public_history_of_BND/birth_of_the_npl.html

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