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戦争のつくりかた

「……もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。 そして国民はつねに指導者の言いなりになるように仕向けられます。……反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国をさらなる危険にさらす。このやりかたはどんな国でも有効ですよ。」 ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング ー ニュルンベルク裁判より ドイツの政治家、軍人。国家元帥。ナチ党政権下のドイツにおいて、 ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。

知の統合

政教分離によって国家と宗教を隔てた様に、科学と政治の分離が必要だ。 これは、科学を国家による浸食から守る為である。国家の元に置かれる科学は危険だが、 政治によって制約を受けないということもまた科学による暴走の危険がある。 必要なのは自然科学の哲学への回帰であり、知の統合だ。 17世紀〜18世紀の啓蒙期を過ぎると、自然科学は分化を始め、 19世紀を通して20世紀には自然科学は独立したかにみえたが、 科学は哲学を失い、学問が全体像を失った結果に過ぎなかった。 現在、芸術の一部と科学は統合を始めている。 それらが宗教と再び統合する事は有り得ないしまた避けなければならない。 何故なら宗教はあらかじめ排他性を含む事によって存立しており、 それらは、科学や芸術の拡大発展を阻む。 自然科学と人文科学の統合によって、政治に提言する立場は保たれるだろう。 政教科分離が必要であり、これは知の統合によって為しうる。

ドイツ基本法

第1条 [人間の尊厳、基本権による公権力の拘束] (1) 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、保護することは、すべての公権力の義務である。 (2) ドイツ国民は、それゆえに、侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権を世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める。(3) 以下の基本権は、直接に妥当する法として、立法、執行権および司法を拘束する。つまりこれ、ドイツの憲法一条。 自然権であるところの人権を守る為に国家と国家の法は存在する。それが国家と国家権力の正当性の根拠になっているわけです。

POLITICA

古代ギリシャに於ける政治 (= Politica) とは、 「人を動かすアート」、つまり芸術であったという。 「人を動かすアート」というのはいただけない。 恐らく王制や貴族制の頃の考えなのかな。 「人が動くことによって創造されること」がアート=政治であれば、それは珊瑚虫が作り出すサンゴ礁、「無秩序こそが最高の秩序だ」というプルードンのアナキズム、自己組織化、オートポイエーシスを思い起こさせる。人間は手に入れつつある。